数年前、私の母親が「花粉症にはヨーグルトが効く」と、誰かから聞いてきて以来、我が家の冷蔵庫にはヨーグルトがいつも入っている。
私も嫌いではないので食後のデザートとして食べたりする。銘柄はその時によって違うのだけれども、どのヨーグルトも個性があってそれぞれそれなりにおいしい。花粉症にも効いたような気がする。プラセボ効果はあなどれない。いや、体内の異物排除機能である抗体システムが乳酸菌に対して活動することで、免疫系が調整されていい感じになっているのかもしれない。
乳酸菌は立派な生き物だ。ヨーグルトを食べるのは生きた乳酸菌を踊り食いするようなものである。生き物を生きたまま食べるというのは残酷なことだ。自分の命をつなぐため他の生き物を犠牲にする。これは、日常的に私たちが行っていることだ。弱肉強食。厳しい世界だ。ゆえに、そこから一歩、人類は前進せねばならない。
過去、人類の間では人種などによって差別が行われてきた。また、富める者と貧しい者との間で抗争が繰り広げられてきた。そこからわれわれはいろんなことを学んできたはずだ。
強者が弱者を餌食にして繁栄するというのはいいことなのか?乳酸菌は人間に対して弱者である。その一生を生まれたときから死ぬまで人間に支配され、人間のためにのみ生かされている。乳酸菌の権利はどこに行ってしまったのか?ここには社会の誰もが沈黙を決め込んでいる大きな問題がある。私は福祉を学ぶものとして乳酸菌に代わって権利を擁護しなければならないと考える。アドボケーションは福祉に関わるものにとって大変大事なことである。
悲惨な生を送る乳酸菌は救われなければならない。乳酸菌にも最低限度の生活保障が必要である。われわれ人間という強者による援助の手はすべての乳酸菌をあまねく救うために差し伸べられなければならない。冷蔵庫のような彼らの活動を抑制してしまう非道な環境において監禁がなされたりするのは大きな問題であろう。
これに対して、反論がある。援助の手が差し伸べられることによって、乳酸菌が怠惰に陥る可能性があるというものだ。乳酸菌は自助努力によって自ら豊かな生活を勝ち取らなければならない。薬剤耐性結核菌や病原性大腸菌O157のように決起して自ら立ち上がることが乳酸菌には求められているのであるとするものである。
これは乳酸菌をめぐる福祉的問題である。われわれ人間には仲間である乳酸菌が必要である。なのに、この国では彼らの権利を守る手立てが打たれていない。このような重大なことは国会や有識者会議等で十分な議論がなされなければならないであろう。究極的には「乳酸菌福祉法」の制定を見据えての活動が必要かもしれない。
人間は古来より乳酸菌と共生して来た。近代社会はそれをねじまげようとしている。過去の歴史から学び、来たるべき22世紀に向けて新たな倫理が望まれるところである。そして、弱者に優しい世界を構築していくことが必要なのである。乳酸菌でも普通に暮らしてゆける社会。「ごくあたりまえの暮らし」が乳酸菌にも与えられなければならない。それは、わたしたち人間にとっても暮らしやすい社会なのではないのだろうか?
えーと、最近私が好きなのは「バニラ・ヨーグルト」です。上のリンクのみたいな高級でおいしそうなのじゃなくてスーパーで買ってくるやつですが。高級なのいっぺん食べてみたいです。食べる時、たまに上記のようなことを考えます。おなかのなかで乳酸菌が元気に活躍していることを祈ります。
・・・うそです。何も考えてません。乳酸菌の皆さんごめんなさい。