ストレス耐性とストレス脆弱性と敏感さと鈍さ

私は鈍い。

どのくらい鈍いかと言うと、就労支援ワーカーさんに
「テレワークとかできたらいいなと思うんですけど」・・・と聞いて、
「君には外で働くだけの可能性がある・・・」と持ち上げられて、
あっさりそうですかと引き下がるくらい鈍い。

まず、質問の内容が「在宅就労しかない」レベルの人のための施策を自分が使おうとしているところが鈍い。さらにワーカーさんが言外に「あまえるんじゃない」と言っているのをその場で気づけないのも鈍い。

クライエントのニーズにしたがってワーカーが動くなんてのは本当はあまり無いのかもしれない。パッケージ化されたパターンを当てはめるかのごとくかなりルーティン化してる気がする。

もちろん、個別に対応してはくれる。
話も聞いてくれる。

でも、何をこちらが求めているのかを分かってくれないワーカーは多いと思う。
私の表現能力が低いのかもしれない。わかってもらうまでくいさがらないのも悪い。
自分の意識を自覚的にとらえることに困難があるのかもしれない。

必要な情報さえあれば自力でできることが結構ある。
しかし、情報を提供するより「どう仕事を片付けるか=クライエントのニーズを満たすか」に主眼が置かれているワーカーの態度って正しいのだろうか?ニーズと言うのも便利な言葉で、クライエントの真のニーズは・・・とか言い出すとワーカーはクライエントを知らない場所へ連れて行く。介入の度合いのコントロールは難しい。親切は断れない。流されてしまう。パターナリズムとも少し違う。

大阪での件はアウェーで戦う不利がある。相手のワーカーとはキャリアも違うから、担当ワーカーに任せたほうが簡単に事は片付く。でもそれでいいのかという思いが常にある。

逆に今までの職場でつぶれてきた経験から、自身の能力以上の仕事を抱え込むクセも分かってきている。つまり自分のことが見えていないのだ。

そこに気づくと、どこまでを自分で処理すべきか悩ましいことになる。

「障碍者」として自分を扱うのにいまだに慣れていないのか?
発病から16年になろうとするのに見えないことがまだまだある。
やればできてしまうことが多いことが、障碍を見えにくくしている。

そしてそれが他人の助けを借りることに困難を発生させる。

自分の本意ではないことが起こったとき、抗議するべきなのだが、
妄想のことを考えると、一歩後ずさりをしてしまう。

嫌な気分がするのだが、それに対して耐性がついている。
ストレス耐性とストレス脆弱性がモザイクのように自分に存在している。

ものすごく敏感なところとものすごく鈍感なところ。
病気なのだなあと思わされる。
人間は多面性を持っているといわれればそれまでだけれど・・・。

いままでいろいろあって傷つくことにも慣れてしまっている。
他人に共感するのに不都合を生じるほど鈍いところもある。

でも、ストレスに弱い。人に「繊細だ」とも言われた。

いったい自分はなんなんだと思う。

この感情、同病者は分かってくれるのではないかという期待を持っているのだが・・・。
人それぞれだ・・・。

こうして思考は散乱していく。何をいいたいのかわからなくなってしまった。
すごく重要な気づきがあったつもりなのだけれど言葉にしたらおかしくなった。
鈍くて脆弱である。

2 comments

  1. davis1981 says:

    分かるよ~って気楽に言えたらいいですが、
    それが逆にこいつ分かっていないんだな~っていう証明に感じられたりします。
    これは敏感な部分です。
    時々普通の人が当たり前に思っていること(難しく言うとコンセンサスというのかな)
    に気づかなかったり人の気持ちを深読み(いや実際何も考えていない)しすぎて失敗も
    あったり。これは鈍感な部分。
    あささんと僕は似たところがあるなと自分勝手に思います。
    前に僕が重大なミスをしてしまいあささんを傷つけたのも、鈍感と敏感のなせる業かも
    しれないです、といって弁解する自分っていったい何者なんでしょうかね。
    深く考えないことですよ^^
    ではでは~

  2. あさ says:

    >davis1981 さん

    すいません。わかるようなわからないような文章書いちゃって。
    気分の波も含めてやっかいなところです。

    やっぱり考えてどうこうなるものではないかもしれませんね。

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