16年前。
私が統合失調症を発症したのはちょうど今頃の季節です。
陰性症状や認知障害はもっと早くに出ていた気がします。
大学の研究室で孤立し、卒論を自力で仕上げたあの頃。
実質、卒論2本分の労力を費やし、1本だけ公開しました。
金属加工の研究をしていました。
ひとつはAIを使った曲げ成形の工程設計プログラムについて。
もうひとつは弾塑性有限要素法による成形シミュレーション。
このふたつを基にして、さらに大きなことを目指していました。
それを現実の成形にリンクさせるために加工機械、すなわちロボットを作ろうとしていました。
今思えば、自分の能力を超えていました。
でも、もし、博士課程まで行っていたらひょっとしたら目的まで届いていたかもしれない。
(そう思うのはこの病気の妄想のせいなんですよね・・・)
しかし、精神力の限界を越えてしまいました。
もしも・・・と考えるのは慰めにもなりません・・・。
ひとりで下宿に居るときに陽性症状に襲われました。
今頃は、そんな季節です。
今日も一人でパソコンに向かう毎日。
幸い話し相手が居て、ネットの性質も昔とはだいぶ変わり、ストレスは軽減されています。
16年が過ぎ、新たな道をいまだに探り続けています。
本気で取り組んだものが無に帰したあの頃。
陰性症状による無為自閉が無かったら、今頃どうなっていたことか。
陰性症状のおかげで今生きていられるのかもしれません。
(自分で自分にケリをつける・・・それすらできない・・・)
ずいぶん遠回りしたものです。
まだ回り道の途中なのだと思うと、気が遠くなります。
当時はまだ新型の向精神薬は無い頃です。
私の体は薬に敏感であり、鈍感でもあります。
回復はゆっくりでした。
また、病識を正確に持つことは難しいことです。
自分が病気だと納得しても、どこがどのように病気なのかはいまだにつかみにくい。
分かったとしても、日々変化する体調についていくのに必死です。
それでも、それに適応するべく動いています。
カルテに書かれた「治療抵抗性」の文字。
それは、自分自身で道を切り開く必要性を告げています。
今は、慎重に。自分を整理して、使い物になる機能を選別する必要があります。
無理はできない。でも挑戦は続けねばならない。
低空飛行でも、地を這うことになっても・・・。
さあ、月曜日。今週は何が起きるのか?
一週間で何かひとつでも掴めたらと思います。
低く低く飛ぶための何か。もしくは地を這うための何かを。
あるいは休息して健康を掴み取るか。
就職の前に生活が、生活の前に医療が、ハードルは延々続きます。
時間は容赦なく流れていきます・・・。