職業選択でもそうだけれど、自分の目標設定能力に疑問を感じています。
高望みしたり、卑屈になったり。
自分のやってみたいことを考える・・・。
いままでに何度も挑戦しては破れてきて、
資格試験なんかは取得後に目標を見失ったり・・・。
その時その時では、固い決意で事に当たるのですが、
視野が狭くなって、かえって遠回りをしていたり・・・。
そのあたりの融通の利かなさも統合失調症を招いた
ぜい弱性の一つだろうかと思います。
やってみなくちゃ分からない。
やって失敗する方がやらずに後悔するより良い。
そんな風に言われたりするけれど、人生は有限です。
失敗ばかりの人生では濃すぎます。
私は今もまだ、迷い続けている最中です。
支援者は私たちクライアントの意向を最大限尊重してくださいます。
でも、私の意向は揺れ動きます。かつ、支援者は揺さぶりもかけてきます。
クライアントの私の意向を誘導するように・・・。
結果より過程が大事だ・・・とも言われます。
でも、過程にとらわれているうちにご飯が食べていけなくなるかもしれない・・・。
本来、学生のうちに考えなければいけないのだけれど、
あのころはそんな余裕はなかったし、
自分では全力で取り組んでいたつもりでした。
それが招いた結果が今のありさまで、どうすればよかったのだろうと考えます。
今、通っている施設の利用者さんたちは、みなさんまじめです。
見ていて、まじめゆえに目をそらしてしまう部分に、人生の急所があるような気がします。
具体的にどこだという話はうまくできませんが。
自分をかえりみて、もう少し、打算的なところも身につけなければいけないと思ったりします。
たとえば、仕事に対して注ぐエネルギーの割合とか。
慣れないことに全力であたると一週間ももたない自分を振り返ってそう思います。
そのあたりのマネジメントを学ばないといけないとも思います。
・・・すると、今度はマネジメントに意識を集中しすぎてエネルギーを使い果たしてしまいます。
「いい加減」がつかめるようにならないと。
完璧でなく、なおかつ他人に迷惑をかけないペース配分を身につける・・・。
今の私のおおづかみな目標はそこなのでしょうか?
あまりそういう方向に考えを向けていくと話は抽象的になり、
現実的に何をやるのか考えるのがおろそかになってしまいます。
むずかしいったらないのだけれど、いつか克服したいものだと思っています。
とりあえず、明日もボランティアを休まずに行けるようにしたいです。
>本来、学生のうちに考えなければいけないのだけれど、
あのころはそんな余裕はなかったし、
自分では全力で取り組んでいたつもりでした。
それが招いた結果が今のありさまで、どうすればよかったのだろうと考えます。
この部分に激しく共感しました。
っていうか、そこそこ名の知れた大学を出たらそれなりの(偏った意味での)リワードが欲しいじゃないですか。それと、大学では学問的に頑張ればそれで良いと思っていたので、自分も勉強ばっかりしてたから潰れたのかも知れないと思っています。
上のリワードにしても、今になって思うに、何が見返りなのかは結局分からないものだし、大学とは必ずしも学問だけを習得する場ではなかったのだと今思い悔やんでいます。
>m.takeda さん
共感いただいてありがたく思います。
大学行ってた時に独学した認知心理学や哲学などの切れっぱしは時々、
人に見えない何かを自分に見せてくれるときがあります。
思えば、それがリワード(ってこの単語知らなかった。リスク・リワード・レシオ・・・とかって使うんですね。勉強になりました。)なのかもしれないなと思います。
でも、おなかはいっぱいにならない・・・(泣)