雨が上がって気持ちのよい夕方です。
山積みになった本を片付け始めたら(読書をはじめたら)
来客が。
ものみの塔のお二人連れさんでした。
いつもきちんとしたかっこうでいらっしゃる、
金かかってるんだろなと思われる小冊子を届けにきてくれる方々です。
で、聖書の話を一生懸命してくださるのが分かっているので、
早く本が読みたくて仕方ない私は逆ねじ攻撃を浴びせました。
「うち、創価学会なんですよ!!」
一撃で戦意を喪失なさったご様子でした。
「方向は異なるけれど、目指すものはたぶんいっしょですよね〜」
と、よくわかんないフォローをして、お帰りいただきました。
つぎに来たら「うちは共産党員なんですよ」ってやってみようかな。
いや、こっちじゃうまくいかないかな?
宗教的な説得にかかられる可能性がある。
じゃあ、「幸福の科学なんですけど本を読んでみませんか?」とか。
小道具を用意しとかなくちゃいけないな。
うーん。あとは「真光」とか「アレフ」とか「統一教会」とか?
研究の余地がありますね。
とりあえず、私は悪い子です。関係者の皆さんごめんなさい。
無神論者じゃないんですよ。
遺跡発掘で出てくる様々な祈祷に使われたと思われる遺物に感心したり、土偶や埴輪に興味があったりするという、レベルのちょっとずれた話がツボなんです。
ミームとして社会に宗教があふれてるのは、理由があると思うし、宗教あってこそ、人類は滅びなかったのだろうと思うから。
その証拠に、どこのネイティブ(原住民)も
なんらかの信仰をもってるでしょ?
宗教は大事に社会に根付いていなくちゃ不自然だと思うのです。
まあ、そんなこんなで、信じているけど信じていない。
アンビバレンツな私なのでした。