やっぱり、自分の多面性がややっこしくなっている。
いろんなことを知るたびに、様相が変わって行く自分。
そして、いろんなものが付加され、同時に切り捨てられて行く。
切り捨てられ行くものに惜別の念を抱くかというと、
無意識にやってることがほとんどで、計算されているのか、感情まかせかは謎だ。
感情というのは、生物の進化の過程で獲得されたものであり、
大脳辺縁系の役割も大きく、内分泌系やら脳内伝達物質やら、
よくわからない仕組みで、コントロールは難しい。
でも、理性より先に感情が獲得され、
感情を持った種として人間が生き残っている以上、感情は切り捨てることができない。
生きて行くために感情的である方が、多分有利だと思う。
そこをそぎ落とすことを求める社会。
犠牲者が出ているのを感じる。
感情に任せて暴走することも許されない。
理性で割り切ることに不合理が含まれる可能性を想う。
突き詰めると、きりがない。
いいかげんに。良い加減に。
そんなことを思いつつスパゲッティを食べるのでした。
ホント、やることなすことのさじ加減が苦手なので困ったものです。
だれがやねん。どいつやねん。