黄金の窯が呼んでいる――あるパン職人のお話

 とある小さな王国に、世にも珍しい“黄金の窯”を持つパン職人がいました。そのパン職人は「自分の腕こそが世界一だ」と信じて疑わず、実際に彼の焼くパンは驚くほどの美味しさでした。外はカリッ、中はふんわり。口にした人々は揃って「なにこれ! 夢みたいなパンだ」と絶賛します。まさに王国が誇る“天才パン職人”だったのです。

 しかし、この職人にはひとつ問題がありました。彼はあまりにも自分の技術に自信を持ちすぎたあまり、しばしば言葉がきつくなりがちだったのです。
「え、パンの焼き加減がちょっと焦げてる? それはお前の舌が鈍いだけだろう」
「このパンはイマイチ? お前の味覚がイマイチなんじゃないのか?」

 と、こんな調子。確かに黄金の窯と優れた技術で焼きあがるパンは絶品。しかし、客や弟子たちはその態度にげんなり。直接的には文句を言えないものの、職人から離れていく人も少なくありませんでした。「天才なのは認めるけど、近寄りがたいよね」「話すと何か言われそうで怖い…」と皆が口々に漏らすようになっていたのです。

 そんなある日、王国に“パンフェスティバル”の話がやってきました。各地から選りすぐりのパン職人が集まり、腕を競うことになる盛大な祭典です。もちろん、黄金の窯を持つ天才パン職人も参加を表明。しかし、彼は準備のために集まった弟子たちにこう命じます。

「えーと、粉は最高級を用意しろ。生地をこねる時間はオレの指定どおりに。間違えたら容赦なく叱るからな。……え? 助手が不足している? そんなの知らん。オレは完璧なパンを作るんだ。文句あるならお前らが勝手に動いてどうにかしろ」

 この言葉を最後に、何人かの弟子は「もう我慢できない」と言わんばかりに去っていきました。残った弟子も、限界ギリギリの表情です。「確かにこの人のパンは美味しい。けど、これじゃあ祭典で勝っても嬉しくないかもしれない…」と内心ため息をついていました。


 さて、パンフェスティバル当日。大広場にはところ狭しとパン屋の屋台が並び、甘い香りと焼き立ての湯気が立ちこめています。来場者たちは目を輝かせて各屋台を回り、「うわあ、このクリームパン最高!」「こっちのバゲットも香ばしい~!」と口々に喜びの声を上げていました。

 黄金の窯の天才パン職人も、もちろん人目を引く存在でした。その屋台には大きく「黄金の窯で焼きあげた究極のパン!」という看板が掲げられています。ところが、近づいてきたお客さんが「あの、試食してもいいですか?」と尋ねると、職人はお高くとまって言います。

「試食? まあいいけど、お前ら素人が食べてもこのパンの良さなんて、本当にわかるのかね」

 その瞬間、周囲の空気がなんとなく冷めてしまいました。とはいえ、好奇心旺盛なお客さんの中には「いや、せっかくだし味わってみたい」と買ってくれる人もいます。しかし、そこですぐに「美味しいけど、ちょっと言い方がねえ…」と噂になり、次第に客足はほかの屋台へ流れていってしまいました。

 それでもパン職人は「あいつらにはパンを見る目がない」「どーせ、たいしたことない味覚だろう」と嘆くばかり。弟子たちも売り込みをしようとしますが、「そこのにいちゃん、これってどういう特徴があるの?」と聞かれた瞬間に職人が横から口をはさみ、「一流の窯で焼いてるから特徴も何もない。最高に決まってる」と取りつく島もない回答。客はますます離れていきます。


 フェスティバルも終盤に差しかかった頃、周囲の屋台は大盛況のところもあれば、そこそこ人並みのところもあります。しかし、天才パン職人の屋台は閑散としたまま。弟子の一人は、気を利かせて通行人に試食パンを差し出しました。そのとき、一人のお客さんがぽつりと言います。

「なんだか、せっかく黄金の窯があるのに、もったいないよね。パンは確かに美味しいのに…こう、客を大切にしてくれてる感じがあんまり伝わってこないんだよね」

 弟子はハッとします。自分もずっとそう感じていました。「もったいない、ですよね…」と苦笑いしながら答えたところ、職人がそれを耳にし、カッと目を見開きました。
「おい、何がもったいないって? せっかくの技術を認められない客の方がよっぽどもったいないだろうが!」

 すかさず弟子は縮こまり、小声で「いえ、そういう意味じゃ…」と弁明しようとしますが、職人はすでに聞く耳を持ちません。結局、その日の売上は思ったほど上がらず、しかも“接客態度が悪いパン屋”として評判を落としてしまいました。


 フェスティバル終了後、職人は不機嫌そうに屋台を片付けていました。そこに、他の屋台の主人が通りかかります。彼は特に目立つ設備を持っているわけでもなく、“昔ながらの釜”でパンを焼いている朴訥とした男でした。とびきりの笑顔で声をかけます。

「黄金の窯さん、お疲れさまでした! 今日は大変でしたねぇ。でも、あなたのパンって本当に美味しいですよね。わたしもお客さんに味見させていただきましたが、びっくりしましたよ。こんなふうに、もっと皆でワイワイ褒め合えるといいですね」

 すると職人は少しムッとして言いました。「そりゃあ、オレのパンは最高だからな。お前のパンがそもそもどんなレベルかわからんが、まあ味見ぐらいならいいだろう」

 朴訥な男は笑顔を崩さずに、職人のパンを手に取って一口。すると目を輝かせ「うわあ、ほんとに美味しい!」と感嘆の声を上げます。そして続けました。

「わたしのパンはどんな味かな? 一応お客さんにはそこそこ好評で、子どもたちが喜んでくれるんですよ。もしよかったら一切れ、食べてみてくれませんか?」

 職人は少し迷った末、好奇心に負けてか、その男のパンにかじりつきました。すると、これはこれで優しい甘みがあり、噛むごとに香りが広がってくるではありませんか。
「へえ…悪くない。いや、思ってたよりかなりいい。どうしてこんなに香りがいいんだ?」

 男は「長年、地元の農家さんと試行錯誤してきて、粉を自分好みにブレンドしているんです。あとは、こまめにお客さんの反応を聞いて、少しずつ調整してます」と照れ笑い。

「ふうん。…まあそういう地道な努力も、侮れないんだな」

 職人はちょっと驚いたような、でも認めたくないような複雑な表情を浮かべます。しかし、そこに真剣に熱意を語る男を見て、胸の奥に少しだけ何かが引っかかった気がしました。「そういえば、オレは最近、お客さんの声なんて聞いちゃいないな…」と。


 その夜、職人は自分の屋台の片付けに追われながら、ぼんやりと考え事をしていました。黄金の窯を使えばどんなパンでも最高に美味しく焼ける――そう信じていたけれど、何かが足りないと感じる瞬間が今さらながら胸をよぎります。

 折しも、祭典中に出会ったお客さんたちの表情が脳裏に浮かびました。中には、口では「美味しい」と言いつつも、なにやら気まずそうな顔をしていた人がいた気がする。自分が「わかってないな」などと言い放ったときに、どんな顔をしていたか、今になって思い出されてしまいます。

 「まあ、オレは天才だからいいんだけどな…」と心の中で言い聞かせようとしても、なぜか言葉が続かない。あの朴訥な男との会話も頭にこびりついて離れません。「地元の農家さんと試行錯誤? お客さんの反応を聞く? ふん、面倒くさいし、オレにはそういうの必要ないと思ってた。……でも、結果がどうだ?」

 遠くを見ると、まだ別の屋台で後片付けをしている男やその仲間たちが見えます。みんな笑顔で「いやあ、今日はお客さんと話しすぎて喉がカラカラだよ」なんて言い合いながら、忙しそうにしつつも楽しそうな雰囲気を醸し出しているのです。


 翌朝、職人は屋台の残りの片付けを終えると、まだ祭典の余韻が残る大広場をフラッと歩き始めました。と、近くの集会所の一角でパン作りの講習会が開かれているのを見つけます。講師はなんと、昨日の朴訥な男。子どもたちや地元の人々に、パンの基本を優しく教えているようです。

「生地はやさしく触って、空気を含ませるようにするといいんですよ。ちょっとこつを覚えれば、家庭でもとっても美味しいパンが焼けますからね」

 男は満面の笑みで、初心者らしき人々の失敗にも一切怒らず、むしろ「失敗も学びの一つです」と前向きに声をかけています。そこには“天才”という肩書きとは無縁の、けれども人の心を温める何かがありました。

 職人は「なんでそこまで親切に教えるんだろう」と不思議に思いながら見ていました。しかし、その場に集まった人たちの楽しげな様子を見ているうち、心の奥で「オレも、こんなふうにパン作りを通じて誰かと繋がりたいと思っていたのかもしれない…」という気持ちがむくむくと湧き上がってきたのです。


 それからしばらくして、職人は自分の工房に戻り、久しぶりに一人でじっくりとパンを焼いてみました。昔はパンそのものを探究するのが楽しくて仕方なかったのに、いつの間にか“天才”と呼ばれることへのプライドばかりが先行し、お客さんとの交流を疎かにしていたことに、改めて気がついたのです。

 焼きあがったパンは、相変わらずの絶品。黄金の窯が最高の火力を発揮してくれているからでもありますが、それ以上に「もう少し素直に、人の意見を聞いてみてもいいのでは」という新鮮な気持ちが、なんとなくパンにいい影響を与えているような気がしました。

 ――そうして、職人は一歩ずつ変わりはじめます。まずは弟子たちに「なにか困っていることはないか?」と声をかけ、そして実際に手伝いをしながら「お前の生地のこね方、ここを少し変えたらもっとよくなるぞ」と、あくまでアドバイスとして伝えます。以前なら「オレの技術を盗むなら勝手に見ろ」という態度でしたが、彼らと話していると意外と自分も学べることがあるとわかってきたのです。

 弟子たちは最初こそ「え、どうしたんですか急に?」と驚きましたが、まっすぐにアドバイスをくれる師匠にちょっと安堵の笑みを浮かべます。その笑顔を見て職人は「あれ、意外と悪くないな」と思うのです。


 数ヶ月後。王国では新たなパンの祭典がまた開催されることになりました。今度の祭典は、お客さんとの交流も重視したイベントになり、職人たちは試食タイムやパン教室などを交えながら、パンの魅力を広める場として設けられるのです。

 黄金の窯の天才パン職人ももちろん参加します。が、今回はこれまでとは違う姿勢でした。弟子たちと協力してブースを飾り付け、お客さんが気軽に話しかけられるように簡単な掲示やメニュー表をわかりやすく準備。焼きたてのパンを配るときには、柔らかい笑顔で「こういう風味なんですよ。もしよかったら感想を教えてもらえますか?」と声をかけるのです。

 初めは、お客さんも「ん? 前と違う?」と戸惑っていましたが、ひとたびパンを口にすると自然に会話が生まれました。「これはスパイスが効いてて面白い味ですね!」「実はこういう食感が好みなんですけど、どうやって作ってるんですか?」――そんなやりとりを積み重ねるうち、気がつけばブースの前には人だかりができていました。

 やがて、朴訥な男が「おお、今回は随分楽しそうにやってますね」と、隣のブースから声をかけてきます。職人は「ま、まあな。お前のやり方も、多少は参考にさせてもらった」と、照れくさそうに笑います。男は「ええ、ぜひ一緒に盛り上げましょうよ!」と、朗らかに応じました。

 今回の祭典は、結果として天才パン職人のブースが最も人気を集めました。パンの美味しさはもとより、彼の態度が以前より柔らかくなったことで、「話しかけやすいし、美味しいパンの話を聞けて楽しい」という評判が広まり、行列が途切れなかったのです。


 さて、噂によれば、最近の天才パン職人はすっかりお客さんとの会話にハマっているそうです。「この間のお客さんはお土産用に甘いパンを求めてたけど、次に来たときにはちょっと塩味を効かせたものを出してやろうか」などと、楽しそうにアイデアを練っているとか。

 それを聞いた以前の弟子たちは目を丸くしますが、そんな職人の姿を見て心の底から「変わってくれてよかった」と思っているようです。何しろ、黄金の窯が生み出す極上のパンを、今度は誰でも気軽に味わえるようになったのですから。

 もし、あなたの周りにも「黄金の窯を持つ天才パン職人」がいるのなら――遠回しにこの物語を伝えてみるといいかもしれません。彼らが持っている素晴らしい才能は、そのまま大切にしてほしいもの。しかし、相手を刺すような“言葉の熱さ”を少しゆるめるだけで、より多くの人々に味わってもらえる、そんな広がり方だってあるのですから。

 才能はひとりで光るより、みんなを照らすほうが何倍も輝く。きっとその天才も、自分のパンが多くの人に喜ばれ、笑顔が広がる景色を見たら、悪い気はしないはずです。いやむしろ、その景色こそが才能の本当の活かしどころなのかもしれませんよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA