ある静かな町に、自分ではたいそう大きな志を持っていると思い込んでいる旅人がいました。年齢的にはそこそこ人生経験を積んでいるようなのですが、どういうわけか口を開けば「自分はいつか遠くの地で大活躍するんだ」という自慢話か、さも世の中を俯瞰しているような講釈ばかり。
しかし、町の人々からは「本気で言ってるの?」という薄い反応をされることもしばしば。それでも本人はまったく意に介さず、むしろ「まあ、凡人には理解できないだろうね」と上から目線で笑みを浮かべるのでした。
ある日のこと。その旅人は街角で、ちょっとした物語を耳にしました。誰かが自信過剰な者の姿をおとぎ話に例えた、一種の寓話だったのですが、「ああ、それは他人事だね。傲慢さはよくない」と得意げにうなずきながら、「いやあ、自分は謙虚に生きるから違うんだよね」とさも他人事のように言い放ちます。
けれども、その場に居合わせた何人かは、心の中で(何を言っているんだろう、この人は……)と苦笑い。どう見ても、語っている内容がぴったりその人自身に重なるように思えるのですが、本人はまるで気がついていない様子なのでした。
彼がさらに話を続けるには、「世界の動きはあたかも過去のある激動期に逆戻りしている。歴史から学ばないのは愚か者だ」と大上段に構えつつ、一方で「いずれ自分は特殊な装置を操る腕を身に着け、騒乱のさなかを縦横無尽に行き来するんだ」と夢見がちな宣言をするのです。
周囲の人々はと言えば、困った表情で「へえ、それはすごい計画ですねえ」とやんわり相槌を打つのが精一杯。内心、「本当にやるつもりなの? そもそも、そんな年齢で無事にあちこち動き回れるんだろうか?」と思いながらも、否定したり笑い飛ばしたりはせず、せめて穏やかに言葉を交わそうとしていました。
旅人は、そんな周囲の反応を「自分にひれ伏している」とでも受け取っているのか、「やはり自分の考えは正しいんだな」とばかりに自信を深めていきます。もはや、誰が何を言っても「そうそう、わかるわかる。みんな自惚れはダメだよね。自分は絶対そうはならないよ」と流されるだけ。
そこで、町の賢者と呼ばれる人物が、ある奇妙な道具を取り出しました。鏡に似ているのだけれど、ただ姿を映すだけではなく、そこに映る者の“本音”や“認識のズレ”が浮かび上がるのだとか。
賢者は旅人に向かって言います。
「あなたはとても崇高な理想をお持ちのようだ。しかし、この鏡を覗き込めば、もしかすると別の景色が見えるかもしれませんよ。見てみませんか?」
旅人は「へえ、面白そうだね」と意気揚々と鏡を覗きこみました。そして現れた自分の姿を見て、何を思ったのかしばし沈黙。しかし、何事もなかったかのように顔を上げ、「ああ、まあ、自分は違うと思うけどね」と言い捨て、その場を離れていったのです。
鏡には、周囲を見下しながら無自覚に自慢げに振る舞う彼自身が映し出されていました――まさに、彼が他人に「そういうのはよくない」と断じた姿そのもの。自分で自分に「謙虚でありたい」と言いながら、実はその謙虚さを証明しようともせず、むしろ自慢話で埋め尽くしていたのです。
旅人はその後、「いやあ、あの鏡はたいしたことなかった。自分には関係ない像が映っただけだよ」と言いふらし、町を去っていきました。賢者はため息まじりに、「人の心ほど難しいものはないものだねえ。結局、鏡を見ても気づかぬ人には何の意味もなかったか」とぼやくばかり。
町の人々は、彼の後ろ姿を見送りながら、「もし次に会うことがあったら、もう少し穏やかな笑みを浮かべてくれるといいんだけどね……」と口々にささやき合いました。誰も彼が抱く大きな願望をバカにはしません。ただ、そこに辿りつくまでの道のりで、もう少し周りを見渡し、誰かの話に耳を傾けるゆとりを持てれば、きっと結果は違ったのではないかと感じていたのです。
人は誰しも、自分は正しいと信じたくなるものです。ましてや、自分を客観的に見るというのは、そう簡単なことではありません。でも、だからこそ、小さな疑問を感じたり、ほんの少しでも「もしかして自分の振る舞い、おかしくないか?」と立ち止まれるかどうかが、大きな分かれ目になるのでしょう。
見えないものに憧れ、見たくないものから目を背けつつも、走り続ける人。そうした姿が時におかしく、時に少し切ないのは、誰しもが少しずつ抱えている弱さのせいかもしれません。自らの背に「謙虚」の看板を掲げていても、ふとした拍子にその看板が裏返り、「実は傲慢」という文字が浮かび上がってしまうこともあるのです。
旅人がいつの日か、再び町を訪れる機会があるかどうかは分かりません。もし来るとしたら、ぜひ今度はあの不思議な鏡をしっかりと直視し、映る影に真正面から向き合ってほしいと、町の人々は密かに願っているのだとか。鏡自体がどうこうというより、そこに映ったものを認められるかどうか。それさえできれば、例えどんなに高齢であろうと、新たな一歩を踏み出すことはきっとできるはずです。
ただし、いくら凄まじい夢を追いかけようと、周囲を見下すばかりでは旅は長続きしないかもしれません。どんなに雄大な計画を語り尽くそうと、謙虚さを知らなければ足元をすくわれることもあるのですから。
どうかこの物語が、まだどこかをさまよっている彼の心にも届きますように――鏡の中には、そう願う町人たちの祈りがそっと反射しているのかもしれません。