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王国の整備士が見落としたもの……耳をふさぐ者の小さな冒険譚

 ここは小さな王国の片隅。砂埃が立つ街道沿いには、頑丈な車輪やら複雑な歯車やらを扱う整備士の店がある。年季の入った看板には大きく店名が書かれているが、くたびれた字体で少し読みにくい。店の主人は壮年を過ぎたあたりの男で、整備の腕前はそこそこ評判だ。古い乗り物を修理すれば、ちゃんと走るようになるから不思議なもの。

 ところが、この整備士はときおり口を開けば、「まあ、この俺にはこれぐらい朝飯前だ」といった自慢や、「次こそは天下無敵の技術を確立してやる」といった大風呂敷が多い。おまけに言葉の端々に皮肉っぽさを含ませることもあるのだが、当人はまったくそのつもりがないらしく、言われた方は微妙な表情を浮かべるばかり。

 ある日、通りかかった町の人々が世間話のついでに「近頃、王国内の揉め事が目立ってきたから、歴史から学ぶ必要があるよね」と話していた。すると整備士は「それそれ! みんな勉強不足なんだよ。俺ならもう少し賢く立ち回るけどね」と賛同するものの、「具体的には?」と聞かれても妙にあいまいな笑みでごまかす。どうやら本当のところは、深く考えたことがないらしい。

 また別の日には「自分はもうすぐ新たな道具を自在に操れるようになる予定なんだ。まだ周囲の者には見えない先を行っているんだよ」と豪語する。聞いた人々は、「なるほど、すごい計画だ」と言いつつ、内心は(どうやって習得するんだろう? 年齢的にもなかなか厳しそうだけど…)と首をかしげる。けれど彼自身は、そうした周囲の戸惑いにまるで気づかない。むしろ自分が称賛されていると勘違いし、ますます胸を張るのだった。

 そんな整備士の店先には、いつも古い乗り物が一台止まっている。あちこちガタが来ており、修理するたび金がかかる。本人はそれを手間とも思わず、「いろいろ大変だけど、まあ仕方ないんだよ」と、どこか鼻高々に語る。しかし、その費用の話は頻繁にするわりに、自分の技術を洗練させるための投資だとか、周囲からの信用を得る工夫だとかには、あまり関心を示さないようだ。

 あるとき、町の広場で物語の読み聞かせイベントが開かれた。そこでは「才能があると自称しながら周囲を見下し、結局は自分の姿が冷ややかな嘲笑の対象になっていることに気づかない」という寓話が披露された。聞いていた人々は「あれ、まさに整備士のことじゃない?」とこっそり目配せ。しかし、本人は上機嫌で拍手を送りながら、「そうだよなあ。自信過剰な連中は痛い目を見る」と大声で頷いていた。

 隣にいた客人が「今の話、あなたも心当たりがあるんじゃないですか?」とおそるおそる問いかけたが、整備士は「いや、俺は違うさ。まさにああいう人間こそ反面教師だよ」と笑い飛ばしてしまう。すっかり“誰か別の痛い人”としてしか捉えていないのだ。周囲の者は苦笑いするしかない。

 しかし、これには続きがある。物語の締めくくりとして語られたのは、「もしもその登場人物が、ほんの少しでも自分の足元を省みたなら、別の未来が開けたかもしれない」という結末だった。聞いていた人々は「なるほど。誰しも間違いや勘違いに気づく機会はあるんだな」と納得しつつ、整備士の頑固な姿を思い出しては複雑な気持ちになった。

 イベントのあと、整備士はいつものように店に戻り、年季の入った乗り物の修理を始める。客の一人が「そろそろ買い替えるとか、別の方法を検討するとかもアリじゃないんですか?」と尋ねると、彼は「いやいや、こんなにこまめに手を入れているんだから、あと十年は大丈夫だ。それに、俺の先見の明があれば問題ない」と豪語する。現実には、部品の寿命が近くて苦労している様子がまるわかりなのだが、本人は「完璧に回ってる」と信じて疑わない。

 さらに、「何を成し遂げるかは、この先のお楽しみってわけだよ。ま、そのへんの人には理解できないだろうけどね」と続けるものだから、周囲の空気が微妙に凍る。誰も否定はしないものの、まるで遠くを見つめるような視線を送っている。普通なら気づきそうなものだが、整備士はいっこうに気づかない。

 そんな彼の姿は、まるで夢の中にいるようでもある。皮肉を言われても、それを自分へのエールと勝手に変換し、叱咤されても「そうそう、世の中には上から目線の人が多いから困るよね」と他人の話として処理する。本人の中では「自分は特別だから、やがてすべてが結実する」と確信しているのだろう。

 それならそれで好きにすればいい――町の人々はもう、そう考え始めている。人生は各々が選ぶもの。傍から見れば苦笑ものでも、当人が満足しているなら口出しも難しい。それでも、彼の語る壮大な夢や威勢のいい話を耳にするたびに、誰もが「もしかして、あの物語の登場人物って、この人のことなんだけどなあ」と心の内でつぶやいてしまう。

 いつか整備士が本当に未来を切り開き、新たな技術で大活躍するのかもしれない。だが、そのときになって周囲の協力を得ようとしても、すでに誰もが背を向けていた――なんて展開は、できれば避けてほしいところだ。
 要は、一瞬でも立ち止まり、自分の姿を振り返ってみるかどうかなのだ。ちょっと考えれば、皮肉なのか称賛なのか、周囲が何を言わんとしているのかに気づく機会は必ずある。それでもなお、自分には無関係だと言い張るのならば……本当に目が覚めるまで、きっと多くのチャンスを取りこぼしてしまうだろう。

 そんな彼の背中を見送りながら、町の人々は今日もささやかに祈る。「どうかこの先、部品の交換だけでなく、心の調整もできるようになりますように」と。何しろ、直すべきところを見誤ったままでは、どんなに良い道具があっても十分には役立たないのだから。

あさ: 山ほどの病気と資格と怨念と笑いで腹と頭を抱えてのたうち回っております。何であるのかよくわからない死に直面しつつも、とりあえず自分が死んだら、皆が幸せになるように、非道な進路を取って日々邁進してまいります。
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