他人に発破をかける時は、自分が焦っている時で…

他人のこころは自分の心の中にあるという話に関して類似論点。

他人に対して色々言いたくなる時がある。
じれったかったり、世話を焼きたかったり、単に寂しかったり。

そんな時は、自分の心を振り返る必要がある。

大抵において、他人がどうこうというより、自分が焦っていたり問題を抱えていたりする。
自分の欲望から他人に発破かけてみたり、説教してしまったりするわけだ。

PSWの実習で散々言われたのだけれど、「自己覚知」ができているかどうか。
他人の為を思っているということは割と少なくて、
自分の欲望、希望、欲求から援助の手を差し伸べてしまう。

それは主体となるべき援助される側としては、押しつけになってしまうわけです。
本当に自分の「自主性」「主体性」や「自律」「自立」「自発」・・・を考えると
安易に他人にアドバイスや援助はできないわけです。

自分の欲求をよく感じ取って、自覚的にならないと援助者としてはよろしくない。
タダの説教好きになってしまうわけです。

自助的にカウンセラー的行動を取ろうとする当事者が増えてきて、
自分もその内の一人だったこともある?んだけれど、
援助には援助のセオリーがあって注意しないと独りよがりになってしまうのでした。

基本に帰るときはこの本。ソーシャルワークのバイブルです.

原点に立ち返れ。原点がずれている方は確認を。大きなお世話?
・・・他人に迷惑をかけないために。

自己満足ならそれもありなのか?周りがどう思ってるかわかんないけれどね。

2 comments

  1. あさ says:

    >シバ さん

    アレですな、何万発かを一斉に打ち上げちまったヤツですな。
    大井川でやってくれるよう頼んでみたら?

    オイラは爆竹200本一勢着火が最高記録だ。(時効)
    爆竹に不正確だけど簡易タイマーしかける方法教えてやろか?
    すっげえ簡単だからここには書けないけど。

    まあ、迷惑かけるからね。突然の発破は。はっぱふみふみ。

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