ろくでなし

まったくろくでもない。
過去ログ消せば済むのだろうか。
ココは基本、過去の矛盾失敗含めて晒してるつもりだけど。
常に変化するのは仕方ないこととして。

始めに言ってたことと違うのを忘れて。
他人の褌を・・・まあいいや。
ブーメランでたいてい戻ってくることである。

収拾がつかなくなった時責任取れるか。
そこらへんなのだろうか。

責任逃れをするのは他人の人生まで背負うのは重すぎるからであり、
安易に他人に自分の人生預ける人間にも問題がある。

いざとなったら裏から口止め。

もう知らん。ほっとくつもり。

さて、自分は自分の道を。

残りは数年だと思ってる。
アカさまに対して何を残してやれるか。
責任を背負い込んでいる。
ここはゆずれない。

さあ、今日もがんばろう。

30 comments

  1. あさ says:

    狭いムラでの認識を一般化して他人を断ずるってやだね。
    と思ったので、別ベクトルでの道を探っている。
    発酵した自分に酔って、他害までせんで欲しいわ。

  2. シバ says:

    心頭滅却しても屁はまだ臭し

    物理法則には逆らわぬようにね。
    Spaceship痛やコロンビアを思い出しましょう。

    ラヂオでピンクフロイドの新曲流れてるけど・・・うーむ

  3. シバ says:

    自分のバイク・車での経験では

    液状ガスケットは「液状またはゲル」で、
    ガスケット面になるべく薄く塗る
    あくまでガスケット補助剤。

    シーラーは「パテまたは粘土状」で、
    排気管継ぎ手などクリティカルでないところの
    目留め材兼固着剤。

  4. あさ says:

    なるほど。

    木工用ボンドとは違うのはよくわかった。

    不易糊とどっちが役に立つのかというのが次の問題か?

  5. シバ says:

    再版した。

    でもなくなると思うから買っとこうと思いつつ
    リアルで買いたいから困ってる。

  6. あさ says:

    http://www.fukushishimbun.co.jp/topics/6296
    「社会福祉法人への課税に反対」 全社協が一斉陳情

    フランチャイズ式でろくでもない施設が出てきて金儲けに走ってるからこうなる。
    ある筋の話によるととんでもない体制のところがあるらしい。
    しかし、課税されるということは社会の一翼を担うことでもある。

     
    税金使って助けてるところから税金取るという蛸な話ではある。
    裏返しになってなにもないのにそこにいる・・・という。
    なんだかなあ・・・お役所のタコツボが問題なのかな?

  7. あさ says:

    http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/1790.html

     死なない蛸

     或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた。
     だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。
     けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。少しづつ他の一部から一部へと。順順に。
     かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。
     或る朝、ふと番人がそこに來た時、水槽の中は空つぽになつてゐた。曇つた埃つぽい硝子の中で、藍色の透き通つた潮水(しほみづ)と、なよなよした海草とが動いてゐた。そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかつた。蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。
     けれども蛸は死ななかつた。彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに[#「そこに」に傍点◎]生きてゐた。古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――或る物すごい缺乏と不滿をもつた、人の目に見えない動物が生きて居た。

  8. あさ says:

    でな、しまいにコレ言われるんだぜ。きっと。

     神神の生活

     ひどく窮乏に惱まされ、乞食のやうな生涯を終つた男が、熱心に或る神を信仰し、最後迄も疑はず、その全能を信じて居た。
    「あなたもまた、この神樣を信仰なさい。疑ひもなく、屹度、御利益がありますから。」臨終の床の中でも、彼は逢ふ人毎にそれを説いた。だが人人は可笑しく思ひ、彼の言ふことを信じなかつた。なぜと言つて、神がもし本當の全能なら、この不幸な貧しい男を、生涯の乞食にはしなかつたらう。信仰の御利益は、もつと早く、すくなくとも彼が死なない前に、多少の安樂な生活を惠んだらう。
    「乞食もまた神の恩惠を信ずるか!」
     さう言つて人人は哄笑した。しかしその貧しい男は、手を振つて答辯し、神のあらたかな[#「あらたかな」に傍点]御利益につき、熱心になつて實證した。例へば彼は、今日の一日の仕事を得るべく、天が雨を降らさぬやうに、時時その神に向つて祈願した。或はまた金十錢の飯を食ふべく、それだけの收入が有り得るやうに、彼の善き神に向つて哀願した。そしてまた、時に合宿所の割寢床で、彼が温き夜具の方へ、順番を好都合にしてもらへることを、密かにその神へ歎願した。そしてこれ等の祈願は、概ねの場合に於て、神の聽き入れるところとなつた。いつでも彼は、それの信仰のために惠まれて居り、神の御利益から幸福だつた。もちろんその貧しい男は、より以上に「全能なもの」を考へ得ず、想像することもなかつた。
     人生について知られるのは、全能の神が一人でなく、到るところにあることである。それらの多くの神神たちは、野道の寂しい辻のほとりや、田舍の小さな森の影や、景色の荒寥とした山の上や、或は裏街の入り込んでゐる、貧乏な長屋の露路に祀られて居り、人間共の侘しげな世界の中で、しづかに情趣深く生活して居る。

  9. シバ says:

    ナナメ読み?

    はげずら じえによ めな ん かい ど

    だりえか こげめ すじ は

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