しにかた

ろくな死に方はしないだろうが、
死ぬ準備を整える気もない。

…というわけにもいかないので、いろいろ勉強中。

認知症1000万人という社会をこれから迎えるだろうと言われているらしい。

どう乗り切っていく気なのか?
介護する立場は厳しい。

今後、カネのない人間は在宅で死ぬようになるとのことだ。
介護施設が足りなくなるようだ。

自分が死ぬとき、どう死んでいくのか、事前に準備する必要がある。
…が、自分の死ぬことをあまり考えていないのがフツーの人間だ。

自分が意思表示できなくなった時にどうするのか。

自殺考えた人は多いと思うが、死んだあとは知ったこっちゃないという無責任。
死にそこねて延命処置を施されて延々と生きながらえる…なんてことになったらどうするのか。
家族は処置を止める決断を迫られる。
が、安楽死はそうそうできない。

責任のなすり合いが始まるわけだが。

まだ意識のはっきりしているうちに意思表示しとかなければならない。

…でも、心神喪失の状態での意思表示という問題が統合失調症患者には振りかかる。
心神喪失でなければいいけれど。自分では判断できない。病識がないから。
寛解しているかどうかは医師の診断によるし。

さあ、むずかしい。ケースによるらしいけどね。

4 comments

  1. まっちゃん says:

    >死んだあとは知ったこっちゃないという無責任
    この考えなんだけど、無責任を現実って単語に置き換えると、死んでも意思を通したいのか?って感じだが。
    どうなんだろう?死んだ後を憂うのは生きているからで、やっぱり死んだあとは知ったこっちゃないが正しいと思うのです。
    借金がチャラになるぐらいで資産とかはお子ちゃまに残す気は無いので、やっぱり知ったこっちゃないんだよな・・・

    まっちゃんが死んだら、世界中からあかさまの認知依頼が殺到とか!妄想です。

  2. あさ says:

    まあ、自分には感知できないものは存在しないも同然…。
    ってところなのかな?

    認知は遺言書でやっときなよ。

  3. まっちゃん says:

    認知はDNA鑑定におまかせです❗
    遺言書は要らないかな🎵
    死んで屍拾うもの無しです❗❗

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