試験の結果がどうなるかわからない今、専門学校の予想回答で合格っぽい感じなところ。
みんながねぎらってくれる。素直にうれしい。正式発表までは気を許せないけど。
生きているのがつらかった。
いつまでも苦痛が続くならいっそ楽になってしまいたいと思うこともあった。
いまでも楽になりたい。終わりにしたい。
でもいろいろ勉強してみてわかったのは、なにもかもが終わりが無いことだった。
まだ学校の試験は残っている。終わっていない。
2月8日の試験のために2月1日までに課題を4つこなさないといけないのだけれど、
内容は奥が深い。資格試験は合格点に届いても、勉強には終わりは無い。
教科書を読めば読むほど世界、社会が複雑なのがわかってくる。
課題には正解があるだろう。
でも、社会には、いや、生活には正解は無い。
楽にはなれない。終わりは無い。
教科書には終わりがある。しかし、そこに書かれた問題には終わりは無い。
ベストは無い。ベターもあやしい。
全力で考えても、社会を、生活を、今以上に良くできるか分からない。
現実的なところを、バランスよく。妥協しながら。
満足できるか分からない。
それでも前へ。
どちらが前かわからないけれど。
だからつらいのだけれど。
自分の感覚を信じたい。
でも、私の病気は自分の感覚を蝕み、迷わせる。
何が真実で妄想で善い事で悪い事なのか・・・。
転んでから気づくのだろう。
これから何度転ぶのだろう。
そして転ぶたびに前後がわからなくなる。
楽になりたい。だから勉強する。でも気休めにしかならない。
どこまでもはてしなく、終わり無く。
でも、周りには同じように迷う人がいる。
前はどっちか探す仲間がいる。たのもしく、たよりなく。
みんなもなにもわかっていない。私もわかっていない。
教科書の著者も、学校の先生もわかっていない。
わかってない人が作った問題をわかってない人が解く。
そう思いつつ試験の支度をしている。
なんなんだろうね。
なにしてるんだろうね。
でも、単位を取るために、全力で・・・。私はバカだ。
どこまでもはてしなく・・・。
終わりってあるのだろうか、ないのだろうか?
「SLAM DANK」の安西先生に聞くしかないのかな?
自己コメント
2009/01/31 17:00
課題2つ終了。明日残りの2つを片付けよう。
教科書そのまんまの問題から、有名な学者さんの書いた本の翻訳の意味を問うものまで。
正直、おもしろい課題だった。合格したから言えるんだけど。
でも、同じ問題中で出典がバラバラの設問があるのはハードだ。
明日もがんばろう。