拙速は巧遅に勝る――それで本当に大丈夫? 無謀な突進の先にある落とし穴

 「拙速は巧遅に勝る」という言葉を好んで振りかざす人がいます。たとえ詰めが甘くとも、素早く取りかかったほうが、いくら緻密でも遅れてしまうアプローチより成果を得やすいという主張でしょう。一見もっともらしく聞こえるかもしれません。しかし、それを理由に「とにかく速ければOK」と突き進むのは、落とし穴へ一直線に走っているようなものです。

 そもそも「拙速は巧遅に勝る」という箴言は、“慎重さを捨てる”ことを奨励しているわけではありません。本来の意図は「必要最低限の準備を整えたうえで、実際の動きを素早く始めることが大事」というバランス感覚にあります。ところが、往々にしてこの言葉が独り歩きし、肝心なリスク評価や市場調査をおろそかにしたまま突撃することが正しいと勘違いされるケースが多いのです。

 実際、企業経営においては、「とりあえずやってみてダメならやめればいい」という拙速主義が重大なトラブルや余計なコストを発生させる例が後を絶ちません。たとえば、充分な情報収集をしないまま新規事業に踏み込み、想定外の法規制や競合の参入に直面して撤退。膨らんだ投資は回収できず、ブランドイメージまで傷つき、次の手を打つためのリソースも奪われてしまう――こうした負の連鎖に陥る企業は少なくありません。「巧遅かもしれないが、周到な準備を積んでいれば被害は最低限に抑えられた」なんて例は巷にあふれているのです。

 逆に「拙速は巧遅に勝る」の真意を上手に活かす企業も存在します。そうした企業は、決して「適当な初動」で走り始めるのではなく、段取りとリスク評価を早めに終わらせ、環境が整うと同時に素早いアクションへ移行するのが共通点です。必要な情報を把握したうえで「スタートダッシュを決める」からこそ、他社より先に顧客を獲得でき、軌道修正が必要になっても早期に実行できる柔軟性を備えています。要するに拙速と巧遅の対立をうのみにするのではなく、“巧速”が理想形なのです。

 ところが、いたずらに「速いほうが勝つ」とだけ強調する論には、様々な落とし穴があります。最大の問題は、準備不足や品質管理の甘さで顧客を混乱させ、大量のクレームや苦情対応に追われる羽目になること。製品やサービスの質が悪ければ、短期的に目立ったとしても信用を失い、長期的には市場で生き残れません。また、投資した資金や労力が無駄になるだけでなく、社内のモチベーションまで下がってしまうリスクも看過できないでしょう。ゆえに、“拙”というレベルの低い状態で無理やりスピードを出すことが、すべてに優先すると考えるのは楽観的すぎるのです。

 結局、「拙速は巧遅に勝る」とは状況に合わせて慎重さと決断のタイミングをうまく調整したうえで、適切なスピードを発揮する姿勢を指しているにすぎません。巧緻な計画を永遠に立て続けて動き出せないのは論外ですが、だからといって明らかに足りない準備まで投げ捨てるのはリスキーすぎる。スピード重視が活きるのは、あくまで基礎の見落としがない状態を作ってからです。

 もし「拙速は巧遅に勝る」を言葉通りに受け取り、がむしゃらに突っ走るだけなら、いつか崖に突き当たる可能性は高いでしょう。その崖が深ければ深いほど、後戻りは困難になります。つまり、この言葉を使って短絡的に“準備や検証をすべて放棄したスピード至上主義”を主張するのは、明らかに誤った道に誘導しているのです。「拙速は巧遅に勝る」と豪語する前に、自社の目的、リスク環境、マーケットの状況などをきちんと把握しているのか。それを踏まえた体制づくりや情報収集を行ったうえで、スピードを活かせる土台があるか――これを冷静に検証するのが、本当の賢者のやり方でしょう。

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