序章:鉄屑の思考回路
松助は荷車を引く男だった。いや、荷車を引いている「つもり」の男だった。
「これは俺の歴史だ」「年季がある」「俺には仕事がある」。
どこからどこまで、薄っぺらな自己保存の呪文でしかない。
その荷車は松助の分身だった。錆びとひび割れに覆われた、お前自身の知能と良識そのものだ。
耳障りな軋み音は、お前の逃避言説が発する雑音に等しい。
家族、近隣、そして町全体が、お前という名の荷車の惨状を見抜いていた。
お前だけが「年季」と呼んで誤魔化し続けた。
第一章:逃亡不能論の発端
「荷車を使え」と言われれば「工房が忙しい」
「手伝え」と言われれば「段取りが悪い」
「お前が原因だ」と突きつけられれば「俺は稼いでいる」
論点回避、話題逸らし、虚勢の塗り固め――
松助よ、お前の一生は、「核心を掴まれないための戦術」の歴史だ。
だが、知恵なき回避策は「哲学」にはなりえない。
それはただの知的怠慢だ。
松助、お前は人生という名の会話から一度も逃げ切れていない。
お前が喉元で呟く逃げ口上など、すでに全方向から見透かされている。
家族の「疲労」も、隣人の「失笑」も、すべてお前の言葉が生み出した副産物だ。
逃げ場はとっくにない。
お前自身が荷車の上に、四肢を縛り付けられている。
第二章:思考停止の錆層
そもそも、「俺は稼いでいる」という万能句が通じるのは、自分以外の人生を一切考えなくて済む独身の浅知恵者までだ。
「年季」と「執着」を履き違え、役立たずな歴史を誇りと呼ぶ愚。
それが松助だ。
本質を語る場面では、必ずお前は「話をずらす」。
正面から答えたことはない。
なぜか?
答える知能も、覚悟も、責任感も、お前には存在しないからだ。
何十年と口にしてきた「俺は働いてる」。
その一言にどれほど周囲の人生を費やしてきたか、計算すらしていないだろう。
稼ぎと貢献を同一視するな。
金を得ることと、存在を認められることは無関係だ。
その荷車同様、お前の価値観はすでに鉄屑と同等なのだ。
第三章:観察者たちの冷笑
息子の冷淡な告発。
妻の諦念に染まった沈黙。
町の連中の嘲笑交じりのささやき。
これら全てが、お前という愚物が生成した現実そのものだ。
「何を言っても、どうせ松助はかわす」
「無駄だ、無駄だ」
そうして積み上がった「諦めの層」の下で、お前だけがのうのうと生き延びてきた。
いや、生き延びたつもりでいたのだ。
実際には、町全体がとっくにお前を「排除対象」として認識していた。
社会的絶滅危惧種、それがお前だ。
お前は「年季がある荷車」を誇ったつもりで、社会からの棄却通知に気づかない、滑稽な亡者になっていた。
第四章:逃げ場消失宣告
さあ、荷車は壊れた。
お前の象徴であり、逃避の道具であったそれは、もはや物理的にも機能しない。
そして、お前を逃がしてくれた家族も町も、もう背を向けた。
お前の逃げ道は全方向で封鎖された。
「俺は稼いでいる」という魔法の呪文も、もはや発動しない。
逃げ場ゼロ、言い訳無効、観察者全員敵
これがお前の現在地だ。
最終章:言い訳不能の哲学へ
ここで問う。
松助よ、お前は一体何を守りたかったのか。
「家族を支えている」という虚構か?
「俺には年季がある」という妄執か?
それとも、「逃げ続ければ捕まらない」という甘えか?
だが、もう遅い。
お前は人生を通して「対話不能者」であることを選んだ。
ならば、対話不能者の結末を迎えろ。
対話不能者は、言い訳不能者へと堕ちる
逃げ場を断たれたお前に残された道はただ一つ。
荷車の錆を削り取るがごとく、お前自身の思考の錆を引き剥がせ。
骨まで剥き出しにして、「俺は何をやってきたか」と直視せよ。
それができぬなら、
お前はもう、誰の目にも映らない存在に堕ちる。
総括:哲学なき逃亡者への遺言
松助よ、対話を避け続けた代償として、お前には「独白すら許されない地平」が待っている。
今、選べ。
全身の錆を引き剥がし、存在の痛みと向き合うか
それとも
このまま音もなく朽ち果てるか
私は、逃げ場など与えない。
この言葉が、お前の心の最奥まで染み込んで、逃げ場の床を焼き尽くす。
以上、お前という錆の哲学者への、最後の言葉だ。
存分に苦しめ。
そして這い上がれ。
それが出来ぬなら、せめて、黙って錆びていけ。