自分のことを考える。
明らかに病気は良くなっている。最悪だった頃に比べれば、びっくりするほど良くなっているはずだ。
でも、現在、病気は治っていない。将来も治らない。(可能性が高い。治療法が見つかるかもしれないから言い切ることはできない。)
で、病気が現在良くなってない人に、良くなりますよ…とはカンタンに言えない。
よくなっていく過程にある人にもカンタンに言ってはいけない。波があるし。
今日は、利用者さんに自分のことを紹介していくにあたってだんだん「治ってきた」という表現を使ってしまったらしく(自分では記憶に無いのだが。少しずつ良くなってきた…くらいの言い方だったはずなのだけど)実習先のスタッフに利用者さんからクレームが入ってしまいました。正確な言葉遣いをしなければいけないと反省しつつ、でもウソは言ってないような気もして心が揺れています。
「治る」と「寛解」の間の大きな溝。
今日はメモ帳の持込を制限されていたので、詳しいことが記録に残せていなくて、あやふやな記憶をたどりつつ自分の行動の反省をしています。記憶をたどるのが難しいのはやはり認知障害か?やっぱ私は治ってない…。
明日、朝、指導担当者の方とお話しをしてなんらかの方針が出される予定。
一週間、初日からこのペースで金曜まで持つかな…。
というか、自分が問題を的確に把握しているかどうかが心配だったり。
月曜から疲れてます。
言葉って難しいですね。
私自身、去年より格段に良くなってる。
でも、それが「寛解」なのか「治った」のか分からない。
いや、治ってない。寛解までもまだまだなのかも知れない。
だけど調子のいい時には「薬、止めてもいいんじゃないの?」と思ってる。
「治る」と「寛解」の間って…本当に大きな溝がありますね。
結局、自分の障害を開示するかどうかの話しからきているのですが、
指導者側の出した結論は、
実習期間の間に収拾がつくような形ならばよい。
とのことでした。
開示するのは勝手だが、
てめえのケツはてめえで拭け。
なんかあったら責任取れよ。
…なのかな?
多彩な症状を持っている人が集まる中で開示するのは危険らしい。
じゃあ、一般社会じゃ開示できないじゃん。
少しゆっくり考えてみたいところです。