統合失調症のせいにしたくないけれど、弱っている時に刺激されると過剰に疲労します。
…いえ、自信がないんですが、たぶん今、私は怒ってるんだと思います。
やりたいことを断念してたのがひっかかったままになっていて、心が腐りかかってます。そこに違ったベクトルから「障害者」であることを再確認させるような働きかけがありました。
障害のあることを認めることと、やりたいことをやることがリンクさせられてしまってます。
どこまでいっても「あんたは障害者なんだから」とみみもとで囁かれる。
むろん、言っている本人にその気があるわけではなかろうけど。
障害を認めることは必要だけど、障害者運動のみが全てではないと思う。
インクルージョンを障害者側から見たときにどういうことになるのか考えたりします。
残された能力で一般社会とわたりあう。…可能なのか?連帯しなくちゃいけないのか?そのあたりが、ここしばらくの悩みの一部でもある気がします。
ここ数年の某団体の変質を見ていて、誰が主役なのかが置き去りになって
一部が暴走といえるような過活動状態になってるのは、巻き込まれててつらいものがありました。活動を組み立てていく能力が障害者側に欠けていたのは事実だけれど、仕組みとして本業に障害者の主体性が出てくるものを作れなかったのが残念でした。
一時、業務の流れを会計から勤怠管理まで含めてフレキシブルに組み立てられる仕組みを考えていたのだけれど、外部への委託と自立支援法によって仕組みが変わってしまったために断念しました。やってみて上手くいくかどうかはわからなかったけど、たぶん私にはそんな能力はなかったのだろうと思うようになりました。冷静に考えてそんなもの作れとは一言も言われてなかったわけでもあり、病気ですね。どっち側から考えても。
もう、つかれました。
やる気を失って以降は朝令暮改につきあう毎日。事情はわかるけど…。
他のスタッフにも振り回されっぱなしですし。
新機材が次々導入されても、薄給は変わらない。
しばらく落ち着いた日々を送りたいです。
自分が何やってるかを噛み締めることができるような。
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追記
無意識にひとを追い詰めるひとはほんとうに無意識にやってるのだろうなと思いました。あいさつをするようにひとを追い詰める。過敏になってるこっちが悪いのでしょうか?