いまから行ってきます。
人の集まるところは苦手ですが、特に親戚関係の集まりはさらに苦手です。
中途半端な距離感の人たち。
お仕事何してるんですか?という恐怖の質問。
することがないのに居なければならないという微妙な立場。
故人をしのぶ心を持つべきなのだろうけど・・・。
なにか失敗やらかしそうで恐かったりもして。
おとなしく隅っこにいようと思います。
この歳で社会性がこれほどまでないというのはいかがなものか・・・。
追記 2009/03/04 20:15
帰ってきました。
親戚からはほぼシカトされました。
自分の病気について理解させられないもどかしさ。
病気だということを知らない人もいる。
大学まででてるのになにやってんだ・・・という視線。
被害妄想みたいなものも沸き起こってきます。
本当にそう思われてるかどうか確かめるわけにもいかないのが
この病気のいやなところ。
明日の葬儀でもシカトでしょう。
喪主からは会釈すらされない。
・・・私は自分が死んでも葬式やって欲しくない。
親戚の不幸でこういう考えにたどり着いてしまう自分は、
相当に病んでると思います。
なぞなぞだらけでいいんじゃないでしょうか。。。いきてることじたいなぞなぞです。。。(自分の感覚を信用できるのか?をよんで)ともに実体がありともにいきていることがわたしはうれしい。しみじみおもいます。
>やんやん さん
おじさんと私ははあまり仲良くなかった。
生きていても互いの生き方を否定しあうような。
逆に考えて、否定しあうことも存在を認めているということなのですね。
ともに生きるというのにもいろんな生き方があるのだと思います。