自分の考える事と見える事の限界。

批判的文章を書くときにいつも思う事があります。

それは、自分の言葉は自分の思考の幅までしか届かないという事です。
ゆえに、他人を批判するときにはまさに自分の鏡として文章が紡ぎ出されます。

自分が他人の思考を批判するときは、同時に自分の思考を批判しているわけです。
あくまでも、他人と思っているのは、自分の中で作られたその他人の像に過ぎません。

自分の中で他人の像を作り出すのには、自分の中でのボキャブラリーやモデルしか使えません。思った事を表現したり常識を語るとき、それは他人の姿をした自分の影を語っているわけです。

常にそんな事を考えていては何にもかけなくなってしまうから、
普段は気楽に構えて書き綴れば良いのですが、クリティカルな場合は注意が必要だと思います。

シバさんにこないだ指摘されたけれど、疲れているときには視野狭窄が起こりやすいです。
自分の中での他人の姿はあくまでも自分で組み立てたものなのです。

しつこく繰り返しちゃってるけれど、
ひとを批判する事は、自分自身を批判する事にもなります。
日頃から注意していないといけないことではあります。

まあ、普段そんな事考えていては、疲れてしまうから気楽にしてブログを綴るわけですが・・・。

人間って面白いね。

PSWになるためにいろいろ指導を受けたのだけれど、
その中のキーワードに「自己覚知」というものがあります。
詳しい意味はそのスジの本で学ぶのが良いと思うので割愛します。

カウンセラーや精神科医の「転移」「逆転移」や、
もっと一般的には他人に「巻き込まれる」という事態と同じ系統の話だと思います。

それが必ずしもいけない訳ではありません。
しかし、そういう状態にある事は自覚しながらでないといけないなと思います。

 
 
堅苦しくなったけれど、現状楽しくやれているので良いかなと思います。

つうか、そんなことより確定申告をはやくしないといかんのだ。
仕事に戻らなくちゃ。

4 comments

  1. シバ says:

    映し鏡なのは確かだよね、自分の紡ぎ出す物って。
    ブログは「私小説的」と言ったのはそんな意味も含めて。
    「馬鹿って言ったお前が馬鹿」という子供の口喧嘩は
    ある意味以上に真理だと思うと怖さを感じる。

    こんな仕事してると特に思うのよ、
    世の中で目にする人工物は全て誰かが書いたりデザインしたもので
    適当だったり神経質だったり繊細だったりぞんざいだったり・・・
    作った人間が透けて見えるよね、時々。

    じゃあ自分は?と振り返ると、
    メカフェチで変態で知ったかぶりで不安定で支離滅裂・・・合ってるをぅ。

    ブスリっとね。

    ま、何を書こうと表に出そうとその人の自由ではあるけれど、
    自由にはそれなりの責任とリスクを伴うべきだとは思う。

    西村賢太氏のような昇華をできれば素晴らしいけど・・・
    ちょっと論点からずれたが。

  2. あさ says:

    >シバ さん

    さすがレスポンス早いっすね。

    旧石器時代の石の割り方からしてすでに個性はあったんだと思うんですよ。
    土器の年代を見るのもそう。専門家が見ればどこのいつ頃の土器かわかっちゃう。

    多分に偶然や思いつきや発明なんかがあるんだろうけれど、
    人間の考えたりすることって何か枠があるんですよね。

    それが大きく見れば文化で、小さく見ると個性。

    幅が広いってのは良い事ばかりじゃなくて、旧来の優れたものを捨て去る事でもあるから、リスクはつきまとう。

    責任って言葉も実は文化的なものじゃないかって思ったりする。
    昔は神様に責任転嫁できたけれど、今はそうはいかない。
    で、個人に責任を負わせるべきなのか?っていうと、その人がそうならざるを得なかった理由ってのもある訳で、そこを考えると責任って言葉はどんどん拡散していっちゃう。

    永山則夫のような昇華の仕方はどうなるんだろ?
    かなり論点から私もズレますよ。

  3. non says:

    あの、プロフィールなどを拝見させて頂いた者ですが。
    病前から頭が良い、勉強ができるなどがあったと思いますが、やはり
    能力の低下などは感じになっているのでしょうか?
    自分は統合失調症になって、能力の低下があるのかないのかわからない
    状態で不安から集中力低下を招いてしまっています。

    ご苦労がおありだったと察しますが、今後の指針とさせて頂きたくご返事のほうお待ちしております。

    薬の返還期などもしりたいのですが、それはプライベートのことかもしれませんので聞いてみたいですがそれは気が向いたらで結構です。

    それでは突然ですみません。失礼致しします。

    non

  4. あさ says:

    >non さん

    病前から頭が良かったということはありません。

    能力は確実に低下しています。
    思考力然り、記憶力然り、判断力然り・・・。

    一時期は寝たきりに近い状態でした。
    ごはんまで布団の上で食べる始末です。
    薄皮をはぐ様に良くなった様に思います。

    集中力がないというのもよくわかります。
    現在も仕事でミスをしては反省することの繰り返しです。

    薬については、旧世代薬(セレネース、インプロメン、ミラドール)からリスパダールに切り替えて、加えて外での仕事をする様になってから回復が進んだ気がしています。そして、ジプレキサに変更したのが数年前。さらに現在、エビリファイに切り替えられないかと考えているのですが、主治医はあまり切り替えはしたくない様です。

    自分で言うのもなんなのですが、ごくありふれたタイプの統合失調症患者だと思います。薬は一生飲み続けることになると思います。

    この病気、体の調子に波があります。なので、どの状態が自分の本来の姿なのかわからない所もあります。また、自分の調子が把握しづらい病気でもあります。調子がいいときというのは、調子を崩す前ぶれでもありますから。

    今後についての指針はやはり主治医と相談すべきだと思われます。
    特に症状や薬についてはPSWでは力不足です。
    (詳しいPSWもいらっしゃいますが)

    ご自身で納得のいくまで、医師と相談なさると良いと思います。

    こんな回答でよろしかったでしょうか?

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