ゆうべはヨメさんが体調不良で看病をしつついろいろ考えてました。
他人を批判するという事についての可否について。
学生の頃、社会思想史の先生に「常に批判的であれ」と教えられました。
現状を改善して行くためには、常に自分、他人を問わずに欠落しているものを意識しないといけないという意味合いかと思います。
しかし、欠落しているものが何か。どういういきさつで欠落してしまったのか想いを馳せると、他人の欠落している部分には何らかの理由があるわけで、たとえばそれが病気だったり、幼い頃のトラウマだったりするわけです。
批判を加える際に、そこらへん、自覚的にならないとただのうるさい人になってしまうわけです。自己覚知ができてないといけない。
でも、なんで自分が批判を加えたくなるのか、意識するのはとても難しいです。
自分の世界は自分にしかわからない。いや、自分でもわからない。
ましてや、他人の世界はさらにわからない。
この本が面白かったです。
でも、確実に自分は周りの人々に作られたものだと思われます。
他人の気になる所、批判したくなる所はそのまんま自分の写し鏡だと思います。
言えば言っただけ自分のことをさらけだすことになります。
批判の内容は自分の世界の範囲からしか出てこないわけで。
ヨメさんにはかなりいろいろ教えられてます。
かなり厳しい事も言われるわけですが、納得出来る事も多くありがたい存在です。
今朝は元気になったヨメさん。明日は私の検査につきあってくれるとの事。
土日に出勤した代休を取るそうです。
苦労をかけて申し訳なく思います。
くーっ、最終的にはおのろけか!
自分が良く考えているのは
「批判するのは簡単」「批判と否定は違う」の2点かな。
単に批判するのは簡単で、
相手の揚げ足取ったり、アンチテーゼればいいだけだから
無責任だし卑怯だと感じてる。
正直、国会がこれの応酬になってて国民としてとても切ない。
でも、単純な批判はまだいい。
問題は否定から入ることで、
人間だれしもそうだが他者か自己を否定することから批判を始めることが
少なからず思考のパターンとして発生する。
先に否定があるから論議してるつもりでもエスカレートして全否定に行き着く。
当たり前だよね、結論が先にあるから回帰してるだけだし。
言い合いになったりするのは仕方無いし、
批判するのも建設的になれるなら良いと思う。
でも、否定どうしのぶつかり合いは避けたい。
と常々思う。
>シバ さん
だいぶ前に当時の上司に「否定するときは代案を出せ」と教えられました。
商売する時に客相手にして批判したらまずいですけれど、
よりよい案が出せれば逆に喜んでもらえるかも知れない。
それでも相手のメンツを潰さない様にするのは難しい。
最近、相手のメンツを潰すのに生き甲斐を見いだしてるようなのをあちらこちらで見かけるので、自分もその罠に陥ってないか反省しなければいけないなと思います。国会もマスコミも、そしてブログでも。
でも、感情のぶつかり合いになったら建設的にはなりようも無く・・・。
やっぱ、あれですかね、「へーげる」とか読まんといかんですかねえ?
止揚しようって。でも難解だという噂を聞いた事が・・・。
でも、頭に来たら罵りあいになるってのは極めて人間らしいわけで・・・。
って、のんきな事いってる場合じゃないか。
あ、お嫁様のことを慮ってなかった。
夏バテっすか?
旦那がヘーゲルとかハイデガー言いだしてるけど、
めげずに頑張ってとお伝えください。
哲学と宗教はヘリクツ臭くて嫌いな者よりー
>シバ さん
いろいろあってねー。守秘義務あってむにゃむにゃむにゃ・・・。
ヘリクツの特効薬はウィトゲンシュタイン???
いや、土屋賢二か・・・。