カテゴリー: 読書

読書記録

自己愛な人たち

コレ読んだ。

パーソナリティ障害系の解説本かな?
と思ったら大間違い。

確かに、そーいう系のものを扱ってはいるけれど、
「エッセイ」ですね。これは。

面白くないことはないけれど、著者が苦労したという割には内容は・・・。

 
 
収穫は、自己愛には二種類あって、誇大型と過敏型というものがわかったこと。

過敏型というのが最近では多くって、自己愛が強いから
臆病かつ引っ込み性、内向的になるんだそうな。
自己主張を露骨にしないのに他人の目を気にする。
隠れナルシストなんだそうな。
 
 

詳細はどうでもいいけれど、以前の知り合いに見事に当てはまる人がいる。
自分をうつ病だと言ってたけれど、どうもこの類型だろう。

理屈っぽくて、深読みをし、邪推をし、勝手に拗ねたり僻んだりする。
「なぜ私ばかりがこんな目に」
「何も悪いことなんかしてないのに」
といった発想がすぐに生じる。
で、生まれてくるべきではなかったとか思って「うつ」モードに。

でもって、自傷行為に至る。
心の傷を身体の傷に置き換えることで
自分を否定されたことから目を逸らせる。
 
 
 
 
・・・で、どうすりゃいいのってことはこの本には書いてない。
小説の引用が多くって、何かなあとも思うのだけれど、
私小説ってのは自己愛に端を発する物が多いからなのか。

とりあえず、自己愛は無いと都合がわるいけれど
ゆがんでると厄介なものらしい。

 
 
 
なんか、ちょっと消化不良な本でした。
だけど、自分についてちょっぴり考えるきっかけになる本でもありました。

あー。なんかすっきりしない。
でも、自己愛性パーソナリテイ障害の人と自分を重ねてみたり。
ブログ書くのも自己愛の発露だよなとか思いつつ。

新型うつの一部の理解にはつながるのかなと思ったり思わなかったりでした。

中途半端だ。うーむ。読んで考えさせるタイプの本なのかコレは?

鉄骨の魅力

近所でアパートらしき物件が建築中。
ぶっとい鉄骨が組まれています。

近いのでボルト締めたり、切断したりの音が聞こえます。
こないだは生コンで基礎を作ってました。

鉄骨が寸分の狂いもなく組み立てられていくのは壮観です。
まあ、ある程度の誤差は吸収できる設計にはなっているのだろうけれど。
あの大きさのものをきっちり組み立てる技術って、
簡単そうで、実は凄いことなんだよなと思ったり。

大昔、お城の石垣を組むものすごい技術が使われていました。
でっかい石を組んできれいな造形を生み出す技術。
もっと昔。
古墳の石室を組むのなんかもすごい技術。

やれと言われてできる人間は現代でも多くはないんだろうな。

市街地には巨大建造物が何気なく立っているけれど、
その一つ一つがすんごい技術で作られてるんだなと思うと
とんでもない時代に生きているんだなと思ってみたり。

その極致が原子力発電所だったりするんだけれど、
アレは人間の力では及ばない領域にまで達してしまったのだろうな。

たしか、CADとかCAEで強度設計をはじめたのは原発あたりが
建造物では走りだったように記憶してます。

古い構造設計の教科書なんかには原発の構造物の設計に
コンピュータが使われたのが載ってたりするわけなんだけど・・・。
今見ると笑っちゃうほど原始的なCGなんで興味ある方はご覧あれ。

でも、コンピュータの中でいくら精緻に設計できても、
現実化できなければ絵に描いた餅。
現場で汗を流す技術者の方々はすごいと思います。

そんな方々が日本にはゴロゴロしてるんだよな。

ただし、古代の技術が廃れるように、日々、変化に追われている。
枯れた技術を使わないと本当に安心できるものはできない気もする。
現場で腕を磨いた職人さんたちは、これからどこへいくのかな。

これから消費税が上がり、人口も減って、住宅着工も・・・。

そんな技術の継承とかは政策には反映されないんだろうな。
景気景気というけれど、技術や文化が置き去りにされる傾向はあると思う。
目先の生活で精一杯だから。

でも、生活を維持している技術の数々がこれから廃れていくのだろうかと少し不安でもあります。

自分も少しだけ、なんか身につけておけば、これからなんかに役立つかなと思ったり。そう思うと、病気で失ったものがとっても悲しい。

 
鉄骨の上で作業している人を見ながらそんなことを思うのでした。
 
 
 
 
 
つうわけで、アシモフの「ファウンデーション」シリーズをおすすめ。

SFの世界ででっかくそんなことを考えたアシモフはやっぱり凄いな。

「新型うつ病」のデタラメ

コレ読んだ。

精神病理学を踏まえた精神論?

うつ病をめぐって最近出てきた問題をわかりやすく解説しています。
詳細は読んでいただけばわかるので省略。

疾病利得をめぐってのモラルハザードの問題。
自分もストレスを抱え込んでひいひい言ってるけれど、
それで正常なんだな。普通、苦労するのが人間であって。

責任を他人に転嫁するのもほどほどに・・・と。

しかし、責任ってなんだろう?
企業責任、自己責任、過失責任、・・・etc.
権利と義務という時の義務も責任になるのかな?

で、責任はストレスとともに引き受けて乗り越えねばいけないと。

痛いところ突かれたね。
でも、コレがほんとうに支援を必要とする障害者の不利益になる
論調につながらないことを祈ります。

世間では精神障害者がまるっきり理解されてない場合も多く、
ことに統合失調症は理解が薄い。
つうか、理解(了解)不能なところがこの病気でもあるわけで。
そのへんは医師に任せねばならないのだけれど、
家庭の医学的にバッサリやられてしまって、いろんな混同をされていたり。

この本を読んだ人が、統合失調症の前駆期の人を追い詰めないといいけれど。
陰性症状のどうしようも無さを切って捨てなければいいけれど。

わかりやすい主張なだけに、怖くもあります。

 
 
 
とりあえず、私はがんばるよ。お仕事。
就労が無理ならば、自力で何とかするまでさ。

・・・なんとかなるんかいな。
いや、なんとかするのだ。
 
 
 
 
半分再発覚悟だけどね。
ストレスフルだけれども、ストレスは人を成長させるもとになる。
ストレス下でのパフォーマンスで真価が問われる。

・・・。

ストレス脆弱性を持った身には辛い世界です。
淘汰されてたまるものか!!

第四の消費

コレ読んだ。

大変だよみんな。

これから来る社会はコミュニティとかつながりが大事なんだって。

いろんな物をシェアする方向性で。

モノからコトへ。「楽しい」から「うれしい」だって。

 
 
 
 
 
 
 
 
結局、我々精神障害者に欠落していたものは、
他の一般人にも欠落してたんだね。

障害は個人にあるんじゃなくって、社会の方にもあるんだ。
 
で、人類総障害者論を再度ぶちあげて・・・。

コミュ障なのは自分が悪いと思わないでもいいような。
さて、これからどんな社会が来るのやら。

それが見られるまで生き延びられるのかが問題だけれども。

本当は怖いソーシャルメディア

コレ読んだ。

結局、ヒトはどんどん頽廃していく系の本でした。
IT長者がウォール街の金持ちと連動してるのに叩かれにくいのを指摘してました。

この本で紹介してるこのDVD見た人いる?

なんか気になる。

 
 
こうやって、他人のネタを引っ張ってきてアレコレ言ってお茶を濁してるだけじゃ進歩もないし、結局、質のいいコンテンツは作れないって。

反省することしきり。

毎日の日記の垂れ流しもナニだとか。

ふむ。

考えてみると他人の尻馬に乗って色々書いてるのもつまらんなあ。
でも、自分で考えたことを垂れ流すのもちと・・・。

自分で、他人を取材したことを考えながら書けばいいのか?

結局、どうすればいいんでしょう?

 
 
 
言いたいことはわかる。
Webが馬鹿の巣窟になりつつあるのもなんとなく・・・。
一方でキュレーションが必要とも言うし。

ううむ。矛盾をはらんでいるぞ。

とりあえず、自分はマイペースで行くしか無いか。
そのうちなんか出来てくるだろう。
 
うんこみたいなものでもいいからなんか作んなきゃ。

blog始めた頃は随分張り切っていたんだけどな。
 
 
 
 
 
痛いくらいに。
でもそのくらいでちょうどいいのかもなと思ったりするのでした。