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読書記録

「精神障害者をどう裁くか」岩波明

眠れなくて、読んだら一晩で読み終えてしまいました。

「精神障害者をどう裁くか」岩波明 著

裁判員制度が始まって、裁判に一般市民が加わるようになりました。
しかし、重大な犯罪において「心神喪失」「心神耗弱」を正しく理解できているのか?
あるいは、被告側の状態を把握して判断を下せるのか大きな問題です。

この本では刑法39条や、医療観察法にも問題点を指摘しています。
司法と医療の連携はうまくいっていないようです。

この本では外国(特にイギリス)での触法精神障害者の取扱いについても
歴史をふまえて書かれており、日本での制度の立ち遅れが見せつけられます。

裁判員の一般市民の感覚で裁判がおこなわれることも必要です。
でも、マスコミなどによる報道の偏りに影響されやすくもなるわけで、
最近、心の病を風邪と同列にまで身近なものにして偏見をなくそうという流れと
凶悪犯罪と精神障害との関連をにおわせるような扱いの両面性が気にかかります。

精神鑑定についても触れられていました。
軽い犯罪の場合、国選弁護人がついたりすると精神鑑定のコストを考えて、
鑑定が行われなかったりするようです。
重い犯罪の場合は一つの事件で何度も鑑定して
それぞれの鑑定が食い違ったりするのに・・・。

そんなところから犯罪全体では精神障害者の犯行は少ないのに、
凶悪犯罪の犯人には精神障害者が多い・・・という統計が出てしまうのでしょうか?

話は変わって、この本で知った興味深い人物。
「石田 昇」
大学の精神科教授でありながら、のちに統合失調症に罹患し不幸な事件を起こしています。
もっと広く知られてもいい人物だと思いました。

精神科領域の医学は日々進歩しています。
病気の在り方も、変わってきています。
そして、法に対する考え方も変化します。
それに司法や医療のしくみが追い付いていけるか?
市民レベルで知識を共有しなければならないわけで、ハードルは高そうです。

この本は歴史から説き起こし、現在の精神科医療、医療観察法やその問題点まで
さらっと書かれており、読みやすい本でした。

裁判員に選ばれてしまった方はご一読を。


追記

当然、この本で精神障害者のすべてを知ることができるわけでもありませんし、
刑法についてもこれだけで分かるものではありません。

「統合失調症―精神分裂病を解く」森山公夫

読み終わって気づけば、初版は2002年8月の本でした。

統合失調症は脳内の神経伝達物質の働きの異常によって起きる・・・とはよく言われます。

でも、なんでそれが起きるの?と言われた時に、ストレスとそれに対するぜい弱性が基になる・・・と簡単に説明されて終わってしまいます。何だかわかったようなわからないような気がしていました。

なんでストレスがかかると神経伝達物質に異常が生じるのか?
ぜい弱性とは何が原因でどんなものなのか?

問い詰めていけば、「まだよくわからない」ということになります。

この本では、原因を追いかけるというより、発生の機序について説明がなされています。
謎の機関や宇宙人、会社、暴力団が自分を監視し、つけ狙っている・・・
そんな妄想・・・「迫害妄想」を軸に統合失調症の病気の進み方について書かれています。
睡眠の異常や、対人恐怖から、強迫症、迫害的幻覚・妄想へとの流れは、まるで自分のケースを書かれているようで、気味が悪いくらいです。しかし、あらためて自分は統合失調症なのだと確信させられました。

あとがきにもありますが、本来この本は学術書として出版されるべきものでしょう。
でも、新書での発刊。いろいろ事情があるのでしょう。

やはり、新書としては読みにくい部類に入る本です。いろいろな専門用語が入り乱れ、読むのにちょっとつらかったです。でも、統合失調症の普通の書籍とは違った切り口からの書かれ方に、この考え方に基づく臨床のありようなどはどのようになるのかが気になるところです。

この本に対する議論がどこかで行われているのかが気になります。
ちょっと続きが読みたい本でした。

「精神科医は腹の底で何を考えているか」

ひさびさに一気に読み終えました。昼寝していた分を取り戻すがごとく。

「精神科医は腹の底で何を考えているのか」春日武彦 著

きわめて読みやすい本でした。精神科の医師の内心をつづった、精神科にかかっている私としては、先生はこういうことで悩んでいるんだなあと、いろいろ思い出したりしました。

一方、PSWとしての立場にも同様なことが言えることも多く、考えさせられました。

統合失調症の患者の特性に関する記述でそうだよなあと思うことがいっぱいありました。

たとえば・・・p.151より・・・

治療を受けて妄想が払拭され、落ち着いたもののいまひとつ覇気や生彩を欠く状態の、つまり陰性症状を呈している状態の彼ら患者は往々にして日常生活の送り方がぎこちない。どうやら彼らは普通とか当たり前といった状態が分からない傾向にある。そこでそうした日常感覚の欠落を補うべく、彼らは妙に論理的となる。彼らは支離滅裂でも出鱈目でもない。「言わずもがな」とか暗黙の了解といったものへのセンサーが消失してしまったまま、あらためて世界を理解しようとする。けれども世の中の営みの多くは、あえて誰も口にしないような常識やルールに司られている。それを無視してしまっては、スムーズに毎日を過ごすことは出来まい。

なんてところは自分の経験と照らし合わせて思い当たることしきり。

あと、統合失調症は99%治癒しても、残りの1%の蝦瑾が大いに問題になるというくだり。
p.178あたりからの記述です。
私も(このブログでも)ツボを外しまくっているとおり、微妙なズレは「ひゃーやっちゃった」です。
ああ・・・、私も勘違いしてる微妙なところが社会復帰を阻んでるのだろうか?

世間的にうまく渡っていくための微妙な1%。
のどから手が出るほど欲しい1%でもあります。
「寛解」と簡単に言われるけれど、その実質、内容に触れる記述だと思いました。

地道に堅実に誠実・・・なことが今の社会では重要視されないとのこと。
不器用でも緩慢でも生きていくのに不都合がない環境が欲しいと思いました。

と、いうわけで、この本は面白かったです。

・・・書いてあることは、ひょっとしたらあたりまえなことなんだけれど、それをあえてとらえなおして、見つめる作業は貴重だし、有用だと思いました。

明日は何しよう

ボランティアも休みだし、たまってる本を読みたいです。

先日、駅前の本屋ですごく気になる本を見つけたんだけど
買わずに帰ってきてしまいました。

今日行ったらもう見つからない。

中学生のころから同じような目にあって気をつけてるのに・・・

中学の時の友人は「迷ったら買え」と言っていました。
出会いというのは、大事ですね。

と、いうわけで、また失敗しました。

ああ、何が書かれていたんだろう。題名もうろおぼえ。
アマゾンで探せるかなあ?

「福祉の思想」糸賀一雄

「福祉の思想」糸賀一雄 著 NHKブックス


引っ越し作業の中で本棚を整理していて見つけた
古本屋で買ったけどまだ読んでなかった本です。

著者は福祉関係の教科書にも出てくる歴史上の大物です。

当時、精神薄弱と呼ばれていた方々をサポートするべく、
近江学園やびわこ学園の建設に大きな力を発揮し、
障害者の実態の研究や、その支援について大きな実績を残した方です。

この本の第1刷は1968年、私の持ってる本は1996年の第70刷・・・すごいなあ。
著者は1968年にお亡くなりになっています。

私の生まれる前には現在の福祉のおおすじの方向性は定まっていたようです。
逆に言うと、福祉はあまり進歩していない?

精神障害者の分野を考えてみるに、知的障害者の研究のなされたこの本の内容と
40年の時間差をもっても追い付いていないような感じを受けました。
(私が不勉強なだけかもしれないけれど)
新しい概念が出てきてはいても、大きな流れというのはあるのだなと思いました。

途中で引用されていた一文なのですが、両手両足の無いまま生まれてきたという、フランス人のドニーズ・ルグリーさんの手記の一部なのですが、

「私は、何の権威の名において、奇形児として生きる権利を否定されることがあるだろうか。私の生涯は非常に幸福であり、そして私は人間の役に立ったことまであると思う。人間の価値は、その精神と人格にある。その肢体にあるのではない。もし私みたいな子どもを殺してもよければ、私よりもっと不幸な人間がたくさんいるのに、それらの人たちをも殺してよかったであろうか」

文脈からいって、療育により障害者も生き生きと暮らせるのだということを言いたいところなのでしょうが、「精神と人格」に問題がある(問題があるというのも問題なのだけれど)精神障害者は、まだこの時代にも、理解されづらいものだったのだろうなと思います。そして現在も理解されにくいところです。

40年の時間を経ても、変わっていないものの一端です。

私個人を振り返るに、「障害者を見る」という視点から「各個人を見る」という視点への切り替えと、個人を束ねて社会を作っていくというのはどういうことなのか考えねばならないと思いました。

実践が伴わないまま、本をいくら読んでも仕方がないわけでもありますが・・・。
今後の課題です。