カテゴリー: 読書

読書記録

「こころの病を生きる」

「統合失調症患者と精神科医師の往復書簡」だそうです。
数年前に買ったものを再読。

当事者のPSWという私の目指すところのものを達成している方の文章は刺激になりました。
でも、実際のところ現在どんな仕事っぷりなんだろう。興味はあるけど。
拠点はここhttp://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/みたい。
あと、この著者の文章がここに
http://www.caresapo.jp/fukushi/blog/sano/

でもね、私の毎日の生活の苦しみってこの本では解消されませんでした。
それを求める本ではないのだろうけど。

もう私は作業所の当事者職員は辞めようと思うので、今後をぼんやり考えながら読みました。業界は狭いから、再就職は限られてしまうと思うので、少し欝気味。

健常者ってやっぱり病者のことは理解できないのだろうなと思う。
想像はできるのだろうけど、ピントはずれ。
病者であっても自分以外の病者のことは理解できないのだけど。
なんだ、だれも他人のことはわかんないってありふれた結論か。

でもなんかできるだろうか?
バイステックの個別化の言わんとしているところの一端かな?

疲れが抜けるかと思って読み始めたけど、そうでもなかった。

もっと考えなくちゃ。
考える脳みそのコアが故障してるので大変なんだけど…。

「格差社会のサバイバル術」を貧乏人が読んで

試験勉強の合間に昼寝しながら読みました。

死にそうになるまで働かされる正社員と
死にたくなるほど虐げられてる非正社員。

経営者と医者に吸い上げられるお金。
貧乏人の貧しい食生活。

介護業界コムスンのトップの富裕振りと現場の貧困。

福祉業界に身をおいてる私。
「啓発のために映画会やるぞー」っていきなりぶち上げられて
動員されたけど、対価はなし。
準備委員会なんてものを日曜日のたび開いて呼び出して。
チケット売らされて。
そりゃスタッフみんなボランティアなら黒字にもなろうさ。

タダでうごくのはもういやだ。辞める。
やりたかったこといっぱいあるんだ。
入った頃と比べて時間的拘束がきつすぎる。

施設長も理事長も、社会のためになるなら犠牲者がでてもかまわないと思ってるに違いない。
大義名分はもういいよ。月給手取り11万強ではつきあっていられない。
このへんの作業所業界ではこれでも好待遇らしい。
社会保険入ってるだけでまだましなほう。…やってられっか。

私の障害を承知で雇ってくれてるのはありがたいのだけど、
完全に足元見られてるし。

ああ、人生を棒に振ったなあ。

しかし、…こんな本読んでるから貧乏なんだ。

職場から私物のサーバー一式取り返して来ないと。

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追記

今の仕事に来る前の仕事はもっときつかったんだけどね。
一日16時間働いても残業代なしとか…
氷点下で中性子線当てた試料の生コンクリートを水で手洗いしたりとか…

「精神障害を乗り越えて」どこへ行こう…。

社会で活躍する先輩たちの体験記というのは時にたのもしく、時にうらやましく、時に…、、、読むたびに感じ方が変わります。

きょう、現在、私が思うのは、無理しないと仕事が続かない状態をどう周りに分かってもらうのか、という点です。ここ数日調子を崩している私なんですが、周囲との関係で仕事進めなくちゃならないからフォローは入るけど、理解はされていないということを強く感じます。

精神障害者は「信頼」され難いものなのだというのを実感してます。
今いる場所は悪くはないけれど、次が見えてこない。
だから焦ってくるし、不安もつのる。

社会全体が厳しいから、希望が持てない。
…という、呪縛にとらわれて毎日を不安に過ごしてます。
本当に厳しいのか?かなり甘いんじゃないか?自分の責任を回避してないか…?

弱点見つけるとすかさず攻撃してくる人ばかり。
善意をもっての攻撃は攻撃者本人にはわかんないんだろうな。
そこらへんわかれとも言えないし。

この本の著者もそのへん気づいてるみたい。
むずかしいです。

くるい きちがい考

PSW実習で指導者に「普通」と言う言葉をうっかり使ったら、「普通」ってなんだと突っ込まれました。暮らしていくのにさしさわりのないこと…位しか思いつかなかったのだけど、もっとよく考えろとのこと。暮らしにさしさわりがないってどういうことなのか?

学校のメーリングリストで他の方にどう思うか質問してみました。
そこで勧められたのがこの本。

じつは何年も前に読んで、枕元にいつも置いてある本のうちの一冊です。
「クルッテイル」のは個人ではなくて周囲の社会かも…。

普通に暮らすと言うのは狂った社会に自分を合わせて過ごすことなのか?
精神障害を負って、妄想なんかを抱えて苦しみながら社会にあわせる?
大変な事です。個人を社会に合わせるのも、社会を変革するのも。
 
 

実習指導者は「社会」というのを「クライエントの周囲の人たち」に限る事で切り抜ける事ができると教えてくれました。普段、マスコミででっかい問題が語られてるのを見て、社会全体の考え方を変えなくちゃいけないような気分になったり(障害者の権利を求めたり、偏見をなくそうとしたり)することもたまにあるのだけど、それは無理だし(いや、無理と言っちゃいかん。努力は必要だし)、逆に危険な考えでもある。

でも、困っている個人の周りで関わる人たちだけを少し変えることならできるかもしれない。(それでも難しいのだけど)クライエントの暮らしていく範囲でかかわりを持つ人たちに理解があれば、なんとかなっていく。暮らす範囲を広げる時はそのつど、すこしづつ理解を求めていく。地道だけど、苦しいけど、コツコツやるしかないのかな。

 
 
「普通」って自分の手の届く範囲でしか通用しない言葉なんだと再認識。
で、「常識」や「ルール」とかとも折り合いをつけなくちゃ暮らせない。
統合失調症の自分にとっての「普通」ってかなり困難を伴う「普通」だったり。
バイステックのいう「個別化」とも関係してくるんだろな。

「普通でないこと」「じぶんだけの特別なこと」を求めてみたくもなるけど、
「普通」を基準にしてしまう以上、たかがしれていたりするのだろうな。
そして、本気で求めたら周りのひとを困らせる。
「普通」との綱引きをしていく体力が必要なんだろな。
 
 
「きちがい」にあこがれる人もいるみたいな気がするけど、
病気にならなくても周りの人間困らせる人は「きちがい」なわけで
ほとんどみんなが「きちがい」なんだろうな。

ほっとするような、つまらないような。

さらに紹介したい本(わが魂にあうまで)

これはアメリカで精神科病院に入院した著者の病院との闘争をした著者の自叙伝です。
こういう歴史があって現在の福祉の流れが作られてるかと思うと…。

なんかゴネたもん勝ちなのかなあ?
著者のやってることは人としての自由を勝ち取る行為なんだけど、
やりかたの加減というか、しつこさというか、態度というか…なんというか。

病院サイドがものすごく困らされてしまったろうなと思います。
現状を変えるためにはそのくらいの勢いがないとダメなのかな?

悲惨な時代に闘った筆者のパワーに敬服しつつ、
現在だったらなにをやる?…と考えてます。

あなたは何からはじめますか?
病院との闘いにかぎらず。