カテゴリー: 読書

読書記録

日誌が埋まらない

「自己覚知」がキーワードの実習です。

実習前の計画書作りで自己覚知関係の目標をざっくり削られたのに、自己覚知に獲り付かれてます。
実習日程の半分を消化。デイケア実習は不完全燃焼。
何かしようとするとストップがかかり、何もしないと日誌が書けない。

何を求めているのか目的が定かではなくなってきている。
実習中止が怖いのでやりたいことができない。
確かに何か起こったときに責任が取れないのだからしょうがないのだが。

でも、何かしなくちゃ。
人と会話するだけでクレームが入るんじゃ身動きが取れない。

目的は何か考えろと言われてみたり、
具体的にものを考えろと言われてみたり、
病棟から何か感じて来いと言われたり。

一日の実習を振り返る時間が設定されているのだけど、
担当者が忙しくて、ここしばらくその時間がとられていない。

次の手をどう仕掛けると実習にオチがつけられるか?
実習という物語の起承転結の「転」を今日明日で考えていかないと。

ストレスがたまってまた本を買ってしまいました。

さて、どう攻めていこうか…。

スクーリング

名古屋までPSWの勉強しに2泊3日で行ってきました。

暑かった…。何本ペットボトルの水を飲み干したのやら。

スクーリングの内容は、精神保健に関する基本的な考え方とか心構えとかみたいな入門編といったところからはじまり、現場でバリバリ働くワーカーさんや当事者の方、家族会の方のお話を聞かせていただいてもりだくさん。基本的なところからだけれども、でも、基本は大事。精神障害者の暮らしやすい社会ってなんだろかというのを考えてきました。

朝から晩までみっちりだったんですが、集中力が続くギリギリでした。
最後のテスト(小論文)も意識が朦朧としつつ書いたんで成績発表が心配です。
文章作るときにワープロでやるのに慣れてるから紙に書くのに書いちゃ消しを繰り返して能率の悪いこと。
まだ何回かスクーリングがありますので対策たてとかないと…。

小論文の内容的には、授業内容からはるかに脱線したこと書いちゃったんで先生は苦笑いだろうなあ。

精神障害という概念で障害者の一群をくくると、その不利益は個人に属する性質の一部とみなされて、個人に対する差別や偏見が生まれると思うので、「障害」は個人の状態を表すのではなく、個人同士や社会における関係性のもつれのことだと考え直した方がいい…とかいうのを、中島義道の「騒音文化論」を例に挙げて書いてきたんだけど、ちょっとうまくいかなかった。

今考えるとICFの障害の考え方をベースにしてから作文した方がすっきりしたろうしまっとうだった(?)ろうなあと思われます。やっぱ障害を専門に考えてる人たちの考え方ってのは専門家だけあってかなり深いみたい。(でも中島義道の本は面白いので論文書くには楽しかった。勉強しに行ってなにやってんだかって感じだけど)

 
 
明日からは精神科病院で実習です。実はまだ心の準備ができてません。
いったい何が起きるのか。おっかなびっくりです。

 
 

閉鎖病棟~帚木蓬生~

職場の施設長に勧められて読んでみました。

私が入院していたのは1993年頃。総合病院の精神科病棟でした。
3ヶ月くらいの入院でしたが、ちょっぴりそのころを思い出しました。

私の場合、時に流されるままの毎日。休息が休息にならなかった。
あっさり短期で退院してきましたが、単科精神病院にかかってたらひょっとして今頃…。などと妄想してしまいます。

病棟でのレクリエーションも思い出があります。
鍾乳洞を見に行ったり、りんご狩りをしたり、近所の港で魚釣りをしたり…。
ずいぶん良くしてもらったのだけれど、その当時の私にはまったく楽しく感じられませんでした。
楽しくなかった思い出…。

みんなで行う行事が苦痛で仕方がなかった。
よってそのころ一緒に入院していた方々があまり印象に残ってません。
(あるいは記憶の奥底に抑圧されたものがあるのか?)

薬で意識が抑え込まれつつ、活動性を求められる。
なんかちぐはぐな気がするけれど、一番の薬は時間だったのかなと思います。

それで時間を費やしてしまったばっかりに社会に戻るのが困難になってるのですが…。
うまくいかないものです。