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資格取得

かかわりの途上で

「かかわりの途上で」相川章子・田村綾子・廣江仁 著 を読みました。


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かかわりの途上で

あっというまに読み終えました。PSWの業務の紹介の本です。
ケース検討の資料と違って、PSWの仕事をしていく中での想いが中心に書かれています。

読んで思うのは・・・。素直な思いは・・・。書けないや。

病院のPSWと施設のPSWの違いとか、実習で見たこととか、当事者の視点からのPSWの見え方とか、自分の体験上いろいろ考える部分があるんだけれども、PSWってひとくくりにするのは、精神障碍者をひとくくりにするのと同じで間違いなんだろうなと思いました。

もっとすごい話を隠し持ってるはずだけど、語らないし語れない・・・のではないかと。

読みやすい本だと思うので、PSWってなんだろう?という人にはいいと思います。
ちょっとお値段は割高に感じたけれど・・・。すてきなPSWがいっぱいいたらいいな。

社会の狭間に落ちて

静岡から大阪への移住を計画中です。なぜかはいつか明らかにします。

仕事を見つけて、住むところを見つけて、医者を見つけて友達を見つけて・・・

いろいろ考えなければいけません。家で考えていてもしょうがない。現場へ行くぞ!
で、今回、大阪に偵察に行ってきたわけです。

で、まずJOBプラザ大阪で適職は無いか、障害者であることをオープンにして相談してみました。プロフィールにあるようなことを説明して、今までの職歴について話しました。PSWを生かして就職するとか考えてみたいと思っていたのですが、そうは簡単な話ではないらしい。PSWでなくても、コンピュータ関連でも、測量でも同じ。
まずは、大阪での暮らしに慣れてからではないと仕事が続くものではない、と。だからまずは住処を決めて医療機関にもつながって服薬などの生活を軌道に乗せた上で就職先を探すようにとのことでした。精神障碍者の特性をハッキリ言わなくても突いてきてるなと感じました。

一方、不動産屋にも偵察に。こちらでは本来仕事が決まってからそれにあわせて住居を決めるのが正当なわけで、収入の確保されてない人間に貸せる物件は無いらしいです。裏技的に、現在の職の源泉徴収などから「現在」収入があることを家主に見せることによって入居した上で仕事を探すという方法が考えられるようですが、なんせ今までの職の給与額の少なさ加減が話にならない。家賃は約6万から8万くらいが予想されるのですが、今までの就労継続B型事業所職員の賃金は手取り月11万円。源泉徴収票を見せたところで納得してもらえるものではありません。家が借りられない正職員ってなんだったんでしょうね?家賃の水準を落とす必要があります。今回行った不動産屋はその手の格安物件があまり無かったみたいです。大阪って敷金礼金の類が退去時に返ってこないとの事。

住居が先か、仕事が先か・・・。移住計画は厳しい局面を迎えています。
と、いうか今回は切り口を間違えたかも。

また、障害者雇用での賃金額は話が具体化してこないとなんともいえないところがあり、悩ましいところです。
クローズドで行くのも最悪、考えないと。

とりあえず、まだ他に道は無いか・・・ということで、来月あたりもう一回大阪へアタックをかけてみます。予約制の相談できる場所があるので、住居、仕事など総合的に「障害者」の立場を使ってアプローチしてみます。それから、現在通っている医療機関から、大阪への医療機関へのスイッチ作業も考えないと。

不動産屋も地道に理解のあるところを探らないと。
さもなければ、ネットカフェ難民覚悟かな?と、現実と向き合ってます。ん?向き合ってない?

いろいろ情報収集するのが今回の目的のメインでした。パンフレット類を集めて、アプローチする場所のめどをつけています。
本からは学べない社会とのやり取りはいい経験になるとプラス面も考えながら、吸収できるところは自分ものにできるようしたたかに行きたいと思います。方法はあるはずです。ただ、軌道に乗るためには初期加速に何かが必要になるということです。方法つかんだらこりゃいい財産になるぞ。

カウンセラーさんとか、不動産屋の営業の人とか、新聞屋さんの経営者さんとかさすがでした。やっぱ対人関係を構築する能力に長けている人は違います。すっかり手玉に取られてしまいました。言い方は悪いけれど。

私はPSWの資格は取れても、一障害者です。出来ないことは多いし、経験も足りない。
ゼロから(マイナスかも)スタートする人生の転機に今立っているんだと、そう思います。

リカバリーのための挑戦は続きます。

福祉ネットワーク「シリーズ 障害者の就労」

NHK福祉ネットワークでいま、まさに私の悩んでいることについて取り上げられました。
障碍者の就労について。去年10月の再放送です。


昨日は第1部の再放送がありました。
師匠からメールで「今すぐ見ろ!」と連絡が無ければ見落とすところでした。


障害者の就労(1) “就労移行支援事業”は今

障害者自立支援法施行から2年。「福祉から就労へ」という自立支援法の理念を体現する新しい事業として注目を集めた「就労移行支援事業」が、最初の利用期限を迎えようとしている。
この事業は企業などへの一般就労を目的に、必要な訓練や就職支援を行うというもの。働きたい障害者が、2年を限度にこの事業を利用し、企業に就職することを想定している。「就労移行支援事業」は、これまで少なかった福祉施設から企業への就職の道を開いた。しかし同時に、多くの福祉施設では、具体的な支援のノウハウや関係機関とのネットワークをもたないままスタートを切り、結果を出すことができずに苦悩している。
「障害者の就労」を考える2回シリーズ、1回目は自立支援法によって生まれた「就労移行支援事業」の現状を伝え、どのような課題があるのか検証する。

就労移行支援事業を利用し、一般企業の中に入って実際に仕事をする。この番組で紹介された事業所ではスーパーの青果部での果物の袋詰めを行う作業に取り組んでいました。根気強く単調な作業を続けることを学んでいました。また、就労に成功した先輩の仕事場はどんなところか?紹介されたのは大きな食堂の食器洗いの仕事です。数時間休み無く作業を続ける中、障害者が戦力となる様子が紹介されていました。

そして、就職に向けての面接や、挨拶などの練習も行う様子も映し出されていました。
障害者が多数、就職に結びつくことが出来たようです。成果は上がっているようです。

しかし、事業所としては、就職によって利用者が減ることになり、請け負っている青果部の仕事をこなすための人手が足りなくなってしまうという危機に陥っています。また、現在の自立支援法の個別給付の仕組み上、利用者人数が減ることは即、収入減につながります。ひどい時には職員の人件費が賄えないほどにまで給付が減る現実がありました。早く多くの障害者を就労させればさせるほど、事業が苦しくなる・・・。そんな制度上の問題があるのです。


今日は第2部です。仕事を続けることについて。
私は障碍を持ち、また、根性を持たないため、仕事が長続きしないことに悩んでいます。そして現在、就職活動に入ろうとしています。まさにタイムリー。興味深く見ることにしました。


障害者の就労(2) 働き続けるしくみをつくる

働くことを希望する障害者が、せっかく就職しても、すぐに離職してしまうことが問題となっている。職場の人間関係がうまくいかない、仕事にうまくなじめない・・・。どうすれば障害者にとっても、企業にとってもメリットのある働き方ができ、長期間の就労を実現できるのか?
シリーズ2回目のテーマは「働き続けるしくみをつくる」、障害者がグループになって役割分担しながら工場で働く例や、複数の企業が共同でNPOをつくり、障害者の就労・定着支援を行う新しい取り組みなどを紹介。
障害のある人が安心して働き続けるために必要な支援について考える。

今日も就労移行支援事業についてです。今日取り上げる一つ目の事業所では、化粧品の梱包の作業を工場の一角を借り、障碍者のグループで作業しています。得意不得意を見極めて作業を分担することで無理をなくして行きます。

企業の側にもコストや作業者の能力に見合った作業を行ってもらうことでメリットがあるそうです。

障害者が単独で就職すると人間関係に問題を抱え、周囲からの孤立するなどして離職することが多くなります。そこでグループ就労が大きな力を発揮します。作業の指導や仲間との良好な人付き合い、性格上の特性に合った仕事を割り当てることができることから、重度の障害者でも就労が可能になります。

企業の側にも就労移行支援事業所に作業を任せることによって安心して仕事を任せることが出来るようです。

 
 
また、中小企業が合同でNPOを立ち上げ、障碍者の就労にのりだそうとする試みも行われています。

このNPOではまずは就労に必要な訓練を行います。
たとえば精神障害者の日々の不安定さを克服するための訓練です。毎日決まった時間働けるように慣らしていきます。ここで用意された様々な仕事を経験することで個人にあった仕事を見つけていきます。

次の段階として実際の職場へ実習に出て行きます。様々な会社が関わることで多様な訓練場所が確保されます。これから協力する企業は増えていくそうです。

それをクリアすると「トライアル雇用」に挑戦です。障碍に対して理解ある会社で働けることになります。就職後は、各障碍者に対してケア会議が持たれて継続したフォローが行われます。

福祉と就労は今まで分断されていました。これからは共同してネットワークを形成し就労とケアを提供できるようになることを目指すことが求められています。


以上のような番組内容でした。

さて、自分のことをふりかえると、やはり、対人関係の不器用さは否定できません。自分の障害受容とも絡んでくるのですが、このような事業所ですら、続けることが難しいかもしれません。

今まで、就労継続支援事業所で指導員として働いてきましたが、かなり無理をしてきました。立場の不確かなところや、場合によって健常者の顔と障碍者の顔を使い分ける必要もありました。障碍に対してこれ以上理解のあるところはないのですが、極めて働きにくい職場だったと思います。

そんな状態なのに今回、PSWの資格取得ということになるわけですが、いったい私はどのような職が向いているのかさっぱりわからなくなっています。

今週末、遠征して職探しのための偵察をしてきます。自分のアイデンティティがどのように変化していくのか分かりませんが、適職が見つかることを祈っています。何が問題となっているか見極める・・・と同時に自分の武器となるものは何かよく考えてきたいと思います。

っていうか、働き始めると嫌な仕事を断れないので(働くとはそういうものだけど)精神を削りながら日々を過ごすわけだけれど、過大な期待がかけられる事も多く、どんどん無理が重なってダウン・・・という今までのパターンがあります。人と折衝するのが苦手なのに品質管理やらされたり、大きな会議に出されたり、大人数に授業を行えと命じられたり・・・。普通の人はそれをクリアして成長するのだろうけれど・・・。

今回も乗り越えていくしかありません。
失敗には慣れているので少しはタフになっているはずなのだけれど、
もともとが神経質なものだから(そのわりに鈍いが)、病気と合わさってすぐ自爆。

社会経験も中途半端なので自爆したフォローもうまくできない。
それでも仕事は探さなければなりません。

自分のスイッチを電化製品みたいにOFFに出来れば休めるのだろうに・・・と思います。
というか、現在、休んでも休まらない。
焦りが出てるので闇雲に動きそうなのを押さえないと。

ぶっこわれるまでいかないと誰も見向きもしない。
社会適応という名の悪魔に取り付かれて、社会から振り落とされる。
そんな感じです。

呆ける前に

もうすぐ春
もうすぐ春

試験で勉強したことをさらに深くしようと読書中。
読み終わったら書くつもりですが、結構手ごわい。翻訳もの特有の読みづらさ。
構成なんかは教科書なんかよりずっと良いと思うのだけれど、
無理に訳したところもありそう。
専門用語の使いまわしの問題もある感じ。

頭が錆び付かないように、でも、偏らないように。
難しいところです。
●●学派の信者になるというのも良し悪しで、
自覚しないで影響を受けてしまうのは気をつけないと。
常に新しいものが出てくるから追いつくのにはまだまだ時間がかかりそう。

でも、今のタイミングを逃すと、アタマに入らなくなるかもしれない。
読んでみると、試験で問われることというのは
主流になっている本の内容に近似していることに気づく。

普段から最新情報に接して勉強していれば
試験では圧倒的に有利になることがわかる。

あれだけ悩まされた人名もこの本に出て来る流れとしてはごく自然なものなので、
なぜ、ここでこの人物が取り上げられるのかがわかってくる。

基本文献を読んでおくことは大事だ。
・・・というか、試験問題を作成する側もなにがスタンダードなのかを
見ながら大きく流れから外れないように問題を作るわけで、
教科書の次の段階での重要な文献に直接当たるという作業は有効だと思った。

もっと早く気づいていれば、勉強で楽が出来たのにと思う。

仕事が決まり実践に移るとゆっくりはしていられない。
日々の仕事に追われながら勉強するのは厳しい。

キリが無い話ではあるけれど。

科目修了試験が終わり、ひと区切り、そして。

二年半の緊張した生活をやっと切り替えられます。
仕事と勉強を両立させるのが目標でしたが、
いろいろあってそれはかないませんでした。
しごと辞めてしまいました。

3年前の9月ころ科目等履修生として学校に入り、単位を取得。
2年前の4月にそれを昔の大学生時代の単位と合わせて4年次に編入学。

入って1年で資格が取れると思っていたら大間違い。
資格に必要な科目の履修のためには前年度中に選考試験に合格し、ボランティア体験をした上、実習施設を見つけておかなければならなかったのです。このあたり毎年やり方が変わるらしく、今後挑戦しようとする人は事前の調査が必要です。

課題をこなして、去年の6月にスクーリング。クラスの皆さんと初顔合わせ。皆さん社会の第一線で働く人ばかり。そんな中、当事者としてどんなPSWが望ましいかを突然スピーチさせられて、冷や汗をかきました。

8月から9月にかけて実習に精神科病院へ。
作成した書類は結構な量になりました。毎日午前2時3時まで報告書を書く生活が4週間。

休息できる精神状態に持っていくことができなくて、再発ギリギリでの綱渡りでした。
かかりつけの病院では休息入院をすすめられましたが、強引に突破しました。

試験対策を始められたのは10月頃から。
体調は滅茶苦茶でした。

そんななか、何回か関連する授業を受けに
はるばる片道3時間電車に揺られてスクーリングに行ったり。

模擬試験を何回か受けて、12月にもう一度実習についてスクーリング。
実習の発表会です。

そして1月末に国家試験。

で、きょうの試験であとは国家試験も含めて結果の発表をもっておしまいです。

いろいろありましたが、漠然とした夢は現実になりそうです。

しかし二年半で足元は崩れ去りました。

来週には新しい足場を探しに遠征です。
周囲は今後の計画を知って再発を懸念しています。もっともです。

そんななかいろいろ雑音を拾ってきました、
それらもすべてを生かして次へ進みます。

まだ、お礼を言える段階ではありません。

現在、再発の兆候もあります。ここ数日のブログがいい証拠です。
被害感情が止まらなくなるのは、自我が壊れかけてるからです。

いまから、全世界との戦争です。
盗聴器を探さなくてはなりません。カベにはピンホールカメラが。
道行く人が自分のことを噂し、
ネット上では自分の個人情報が裏で流されて嘲笑されている。
見えない敵と戦い続ける・・・。

そんななかで平静を保って、PSWになる。
精神障碍者のノーマライゼーションを語る人は何を思うでしょうか?
偏見や不信、差別・・・それらを無くすことは単純に問題の解決になりません。

この先の道の険しさは15年の病歴から想像できます。
いままでの道のりよりずっと険しいでしょう。
想像を上回るのは間違いありません。
私の想像のおよぶ範囲はたいしたことがない。

『「クレタ人がクレタ人はうそつきだと言った」さてクレタ人は正直か?うそつきか?』

そんなクレタ人に失礼なパラドックスがあるそうです。

それをもとにこんな風に思います。
「私は誠実に不誠実な自分を見つめて行きたい。」と。
そして「責任を持って無責任な自分に対処したい。」と。

とりあえず休息です。
私は疲れました。
勉強にも、生きることにも。

休んで、また勉強です。そして生きていきます。
その必要があるのかどうかまったくわからないのですが。