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資格取得

試験を受けなくちゃならないけれど

うちの大学ではインターネット上で科目修了試験を行います。

正直、今回、試験へのモチベーションが低下しています。

卒業に必要な単位はもうそろってるし。

ここしばらくのトラブルでアタマの整理はついてないし。

準備も不十分になってるし。

まあ、試験にはありがちなコンディション。

ダメでもともと!突っ切ります!!

テスト終わったら、気分含めてなにもかも切り替えていきますので!

人間失格な自分を噛み締めて!

引越し、転職、離別と再会。新たな挑戦。

実質的に人生の節目です。

高ストレスに自分が耐えられるか否か。

試練であり、挑戦です。

さー!やるぞー!!

背にいっぱいの業と罪を背負って。

孤独を最大限に利用して!

本日21時をもって、自分のチャンネルを切り替えられるように!!

 
 
 

そんなに都合よく切り替わるものじゃないけど・・・。
 
そんな元気が残ってるといいなという希望を込めて・・・。

すでに時遅し・・・。

【PSW】仮の採点結果

大学から国家試験の仮の採点結果が送られてきました。

第11回精神保健福祉士国家試験

科目 点数
社会福祉原論 7
社会保障論 6
公的扶助論 5
地域福祉論 6
心理学 8
社会学 5
法学 6
医学一般 4
精神医学 4
精神保健学 8
精神科リハビリテーション学 7
精神保健福祉論 14
精神保健援助技術 24
合計 104
全160問中 104問正解
正答率 65%

日本精神保健福祉士会の正答例に基づいているそうです

私の2年半の集大成です。

このブログにさんざん書き込んできましたが、自分でした採点結果と一致。
ひとまず落ち着けそうです。

今回の試験は出題傾向が変わり、難易度が高かったと言う話もある中で、自分としては満足のいく結果だったと思います。

試験に合格することだけが目標ではありません。

ここからです。
自立支援法の改正などもあります。
医学も福祉の考え方も発展します。
常に勉強が必要です。

ただ試験に合格しただけにとどまらないよう努力したいと思います。
 

とりあえず明日(2009/02/08)試験がひとつあります。
片付けたらば正式発表を待たず次の行動に移ります。

居所を大きく変え、職を探します。
病院の変更など環境の変化もありますので再発には注意して自分の可能性に挑戦します。思い切って、大きく動きます。

病気と共存しながらでも、ここまでこれたことは大きな自信につながると思います。世間の厳しさに耐えるだけの力を発揮できるよう最善を尽くします。


こうやって自分の試験結果を公開するのは、不振に終わった方を傷つけるから止めたほうがいいのでしょうか?散歩したことを書けば散歩できない人を傷つけるから書くべきではないとか、きょうのご飯はおいしかったと書けば、流動食しか口にできない人を考えろとか。極端なたとえですがそんな空気にさらされています。何も書けなくなる日がいつかくるのでしょうか?何もかけなくなるのは嫌です。しかし、書いたことに対しての苦言は受けるつもりです。また、「読みたくないものは、読まない」と言う態度は最終的にどんな結果を生むでしょう?不特定多数が読むところでの発言には注意すべきだと言うならば、何も書けなくなります。解決案を探ろうと、話し合いに移ろうと思えば「この件はこれで終わりにしましょう」。そしてだれも私のブログに来なくなるのでしょう。

ブログだけが生活のすべてではないし、忙しい人は読む時間を作るだけでも精一杯でしょう。そんな方に強制的に書いてもらう気もありません。議論の嫌な人もいるでしょう。クレームが入ったりもしますが、すべての読者を満足させることはできません。書きたいことを書く。すると読む人がいなくなる。自業自得なのでしょうか。

試験の正式な結果がでたら、受験日記的要素がこのブログから消え、他の形に変わるでしょう。根本的なところでブログを書く意味、読む意味を考え直さないといけないと思っています。

おおげさですが、読者に配慮するのをやめようかと思ったりもします。
PSW失格かもしれないけれど。でも仕事とはキッチリ区別して。
ご意見無用で突っ走る。それもひとつの形かと。

配慮したところで、何を書いても他人を傷つけるのだから。
ヤマアラシのジレンマで不自由な思いをするのは覚悟の上で。

まだ、結論は出しません。しばらく考えます。
怒りとも違う、憤りに近いものを感じながら。
各所コメント欄でこれで終わりにしましょうとされたけど・・・。
納得できないものを納得したふりをするのも不自然だし、
心の底からの怒りの持って行き場もない。

要は自分がまだ子供だってことか?
わからないことにわかると答えて立ち往生。
情けない。

そうか自信がなかったんだ。

ほんとうに悩まされた。
悩みながら、いろいろ考えた。

なんで聞きもしないことを誇示して他人より優位に立とうとするのか。
見当違いのアドバイスをして他人の邪魔をするのか。
さらにそれを正当化するのはなぜか。

そして、その振る舞いを見てなぜとがめたくなるのか。ほっとけばいいのに。
なぜ過剰に反抗したくなるのか。怒りが沸いてくるのか。

なんでそんなことをしてしまうのか。

結論としてお互いが「自信がない」からなのだと気づいた。

「精神障碍者は自信を失っている」ということの意味がすとんと胸に落ちた。
教科書の知識が現実とリンクした。スッキリ爽快。
当事者でも自分自身のこととして理解するのは難しかった。

彼も、私も、「自信がない」んだ。
ただそれだけでややこしいことになっていたんだな。

試験の成績に過敏になったり、資格にこだわったり。
自分を認めてもらえるところを探して迷っているんだ。
(わたしの決め付けでした。彼にしかわからない部分です。取り消します。)

それに気づいて「嫌な奴」は「必死にがんばってる奴」に評価は変わったぞ。
(わたしが評価するべきものではありません)

でも、もう少し配慮された表現の仕方をしてくれれば
ここまで私を悩ませることは無かったのに。
何が迷惑なのかを知ることが出来ていれば、あんな振る舞いはしないはずなのに。
ちょっとした対人スキルの問題だったんだろうな。
(悩んでいる方が多いところだと思います。軽率な発言でした。)

人間の難しさと、ものは考えようだということで非常に勉強になった。

ちょっぴり「自己覚知」もできた気がする。
私も少しずつ自信をつけていかなくては。
病気で周りから15年の遅れをとっているけれど、リカバリーに挑戦だ。
(そんなことを言える立場ではありません。撤回します)

「自信がない」からって他人を傷つけかねない言動は慎まなくては。

彼も、私も。

でも、実力の無いところで自信を持ってもいけないから、私は簡単に彼を肯定はしない。(彼のライフワークを否定するのは不適切でした。削除します。)

私が自分が「自信がない」ことに気づいても、彼は気づかないかもしれない。
もっと言えばかたくなに「自信がない」ことを否定するのかもしれない。
転ばないと痛みは分からないから、転ぶまで待とう。
それまで奴は「とっても嫌な奴」のままだ。きっと。

(他人の失敗を期待するのは不適切でした、撤回します。)

次を考えよう。一歩先に進んだ気がする。
ほんとうの「自信」はどうすれば得られるのか?

私は私で考えていく。

彼は彼自身で考えなくてはいけない。私は手伝うことができない。
ただこれ以上周りに不快感を与えたり、迷惑をかけないでもらいたい。
統合失調症で学歴とか成績とかでこころに傷を負っている人は多いはずだ。
そういう人が集まりやすい場所での発言には十分な配慮をお願いしたい
きつい言い方だが過去の栄光は戻らないことを自覚して欲しい。
(過去の業績は否定すべきものではありません、言いすぎでした取り消します)

あと、ひとつヒントを与えるとすれば申し訳ないのだが、
他人の小説を無理やり読まされるのは苦痛なものだ。
正直、私には読む気はおきない。冷たい事を言わせてもらうが興味がわかないのだ。
なにか工夫しないと、他人には読んでもらえない。そのへんは自分で考えてください。
(人の苦労して作り上げたものは尊重しなければなりません。削除します。)


追記 2009/02/06 18:30

この記事は不評なようだ。でも、不評は甘んじて受けるしかないと思っている。
不遜なのはお互い様だったからだ。いや、私のほうがずっと傲慢でもあったこともある。さらにいえば、まだこの先に考えなければならないこともある。それを棚上げにもしている。投射、合理化、反動形成・・・。自分にはいろいろ考えるべきことがある。
まだまだ学ぶことは多い。不評でもありがたく反省材料にさせていただきます。

それからもうひとつ。
せっかくこのサイトを見に来てくださった方に不快な思いをさせてしまったかもしれません。その点については深くお詫び申し上げます。公の場での言動としては不適切なものがあったかもしれません。反省したいと思います。

しかし、それでも、自分の精一杯の努力を軽視されたうえ、自己顕示の材料にしようとするのを黙ってみていることはできませんでした。私の感じた素直な怒りを素直に表現することは許されないことなのでしょうか?今後、似たようなことが起きた場合、怒ることは許されないのでしょうか?個人のブログですから私の裁量で考えなければならないことです。しばらくこころに留めつつ考えたいと思います。


追記 2009/02/06 23:40
いまさらだけど参考資料
ハッキリとは書いてないけど、なにかあったみたいですね。
(サワラさんの指摘により削除します。彼の過去は過去のことです)

反省しても反省できない

統合失調症なのだから・・・というと偏見になるのだけれど、
どうしても、当事者の相手にカチンとくるときがあります。
我慢したり、仕返ししたり・・・。あとで後悔します。

私の師匠も職場で利用者さんにだいぶひどいことを言われるようですが、
キレないように注意を払っているとのことです。

性格の変化は統合失調症の症状ととらえるべきなのか、
二次的に引き起こされるものなのか考えてしまいます。
教科書に出てたかなあ?基本なのかなあ?
素人が診断しても仕方がないのですが。
(深刻に悩んでいる方は多いと思われます。削除します)
統合失調症ではなく、意図的にこちらを怒らせようという別の障害の当事者なのかな・・・?(別の障害にスティグマを与える発言でした。撤回します。)

相手は公の場としてのネット上ではあるまじきことを平気で吐くのですが、
対応するのに同じレベルまで降りていって相手をするのがいいのか
あくまでも専門職らしく、礼節を尽くすのがいいのか悩みます。

(高飛車な発言です。取り消します。)

パーソナリティ障害との境目がどの辺にあるのかもまだ私にはわかりません。
人間50も近くなるとアタマが固くなるのか、反省の色もなく・・・。

(パーソナリティ障害の方に失礼な発言でした取り消します)

こちらが無駄なエネルギーを消耗しないようにするために「無視」という
方法もあるのですが、それは極力避けたいという気持ちがあります。
対話でなんとかならないものかと・・・。

自分が当事者なのにわからない部分です。なぜあんなに不遜な態度を取れるのか?
自分が入院した時の経験からも、現場実習に行った時もあのタイプはいなかった。
某地域活動支援センターで不穏な発言を続ける方を見たことはあるけれど
彼は他人が嫌がることは言わなかった。その方はとても頭が良い方だと感じました。

今回の悩みのタネの方は「頭が悪い」、もしくは「勘が鈍い」。
(私の主観をストレートに出しすぎました。失言です。撤回します。)

直接会えない以上、想像でしか相手を考えられないのですが、
今回、私の悩みのタネのご本人さんはどうも「病識」が欠けてる気配がある。
病気で能力が落ちているのを認められない。いわゆる「受容」が出来ていない。
どこまで付き合うべきか悩んでいます。
(病識を持つことや受容は難しいことです。出来ない方の気分を害する発言でした)
クライエントでもない人間にそこまで悩む必要はないのだけれど、
同病者と思って巻き込まれています。

悪気があるのかないのかもわからない。
(あれで本人が善意でやってるとしたらかなり重症に思います)(私は診断は出来ません)
ニュアンスが伝わらないのはネットの恐いところです。

責任が持てない以上、どこかで切り捨てるべきなのかなあ・・・?
「治す」のは医者の仕事だし、「治る」かもわからない。
(精神障害を寛解させようと努力している方に失礼な発言でした。撤回します。)
「医療」の視点ではいけなくて「生活」の視点から見るとどういうことになるのだろう?
限度を越えた発言には制裁が下ることをわからせるにはどうすればいいのか?
制裁を下す権限は誰にあるのか?
(私的な制裁は法で禁じられているはずでした。取り消します。)
私が怒ってもいいのかな・・・?ネットで怒っても効果ないけど。
怒りを買うのが極めて自然な「生活」上で起こってくる反応だと思うけど・・・。
でも、彼は同じことを他へ行って延々繰り返すのだろうな・・・。
そう思うと怒りではなくて、胸が痛みます。
(純粋に怒りがこみ上げてくるだけでした。修正します。)
そんなことを考えていると、もう一人の自分が自分に向かって
「自分が何様だと思ってるんだ!そんなこと考えられる立場じゃない!!」
って、叱り付けてきます。

自分の至らなさに自覚的にならないといけないなと反省することしきりです。
 
 
 
 
 
 

えーと、結論として今回は「相手はバカだ」と思うことにしました。
(訂:あきらめちゃダメですね)
なんであんな人格になるのかな?
あそこまで自慢にならない話を自慢する人はめずらしいよ。
(他人の自慢話はたいていそういうものでした。撤回します。)


追記 2009/02/06 9:40
同じ目線まで降りるというか、同病者なんで同じ目線でいるはずなんだけど、挑発的な書き込みに乗せられてつきあってしまうというのは「巻き込まれ」なのかなあ。統合失調症の人っていろいろだなあ。ピシャッとはねつけた方がいいんだろうけどネット上だと難しいんだよなあ。いや、それはもう同目線ではないってことか。

正直言って統合失調症の方であんなに性格の悪い人って見たことがない。みんないい人だったのに。私の経験不足なんだろうな。あるいは、単に私の対応ミスか。火に油を注ぐ私の未熟な対応。でも譲りたくない一線を越えてくるからなあ。あんな調子で毎日暮らしてたら統合失調症が嫌われる原因にもなるよなあ・・・。(私の内心に留めて置く部分でした。言いすぎでした。)


追記 2009/02/06 11:00
悩んでいます。自分に適性が無いのか?って言う方向と、どうすれば人のこころを知ることが出来るのかということに。

善意悪意問わず、私には理解できないことが相手の中にはあるわけで、それを捉えることができていない自分の未熟さに。

そう考えることは同じ目線まで降りていけてないんだろうなと思います。
降りるって言葉が出てくるあたりでもうダメなんだろうな。
でも、同じ目線でも同じレベルじゃいけないんだということも思います。
幸いにして悩む時間があるのが救いです。考えます。
「相手のためを思って」ってことがいかに難しいか。
相手を無条件に肯定するというのがまずはないといけないのだろうけれど、肯定しても良いものと悪いものってあるような気もするし。そこをあえて肯定していくのが筋なのでしょうか?

相手の真意を聞きだす前にはねつけてしまうのがいけなかったのか?
自分がPSWになったとしたら、自分の倫理観すら脇に置いておかなければいけないのか?私の倫理観ってなんだろう?くだらないことなのだろうか?
難しいです。

統合失調症を持つ人への援助論

「統合失調症を持つ人への援助論」 向谷地生良 著 を読みました。

  • 当事者研究が開く世界
  • 精神障碍者の生活拠点づくりの中で
  • 生きる苦労を取り戻す
  • セルフヘルプ・グループの意義と専門家の役割
  • 仲間の力
  • 生活の中での統合失調症の精神療法
  • 心理教育をどのように実践するか
  • 統合失調症を持つ人への行動支援
  • 地域におけるPSWの役割
  • 精神障害リハビリテーションにおける人材育成
  • 安心して絶望できる人生
  • 人が暮らす、生きるということ
  • 浦河でのSSTに当事者研究、認知行動療法、著者の経験談、当時者との対談、ソーシャルワーカーの考え方などについておおまかに書かれた本でした。

    本の最初は当事者が主体となった浦河での活動の話題から始まり、後ろへ読み進んでいくに従って、ソーシャルワーカーとはどんな心構えが必要か、今まで著者がどのような方向を向いて援助を行って来たかが語られていきます。

    私の最近気にしている当事者スタッフについても少し書かれていました。何か盗めるものはあるかなと思って読んでいたのですが、べてるでの当事者スタッフと他の各地域での当事者スタッフはそれぞれその場所ごとに特性が違うのだろうなと思いました。病院とべてると各種施設の連携。その背景をもって成り立っていく仕組みがあるのだと思います。地域を巻き込んで作り上げた浦河独自の生活の中で当事者スタッフの威力が最大限発揮できているのだと思います。

    当事者が医療や福祉に切り込んでいく時、それぞれの職場の特性を見極めないと、人と人との関係性で成り立つ仕事ですからいろいろ難しいことがあるのだろうなと思います。著者は広大な地域のたった一人のソーシャルワーカーとしていろんなものを作り上げてきています。でも、主役は当事者だということについてブレがありません。そんな著者の考え方の下に集まった当事者スタッフ&健常者スタッフの活躍が全国的に注目されるようになるまでになった原動力になったのだと思います。ただやみくもに当事者がスタッフをやればいいというわけではないのでしょうね。

    この本からではまだまだ表面的なことしかわかりません。この奥に隠された核があるはずです。書かれていない部分をなんとか読み取ってみたいところです。相談時のテクニックから哲学的バックボーンまで端々にヒントは出てきています。これを参考に自力で何かをひっぱり出すことが必要で、ただ真似するだけではいけないのだろうと思います。自分の背骨を作り出す一つの材料としてこの本を読み返そうと思います。

    おわりのほうに「ソーシャルワーカーのための五つの『すすめ』、七つの『わきまえ』」という章があり、いろいろ含蓄に富んだ文章が載っているのですが、そのうちの一つに【「知ったかぶり」のすすめ】というのが登場します。広く浅く知識を収集しておくことの大事さを説いているのですが、おもしろいことに、私の大学の先生(青木聖久先生)は「知ったかぶりをしないこと」を重要なことだと説かれます。両者の表面上のいいまわしは異なりますが、知識や情報の引き出しの多さが重要になってくるということで一致するのだろうなと思います。知識のきっかけをつかんだらそこから切り込んでいく。そして知識の正確性を上げていく。調査なり、専門家の援助を仰いだり・・・。チームプレイの考え方を違った切り口からとらえているのだと思います。

    いろいろ注目を集める「べてる」ですが、部分的にでもそれを越えた何かが出来る様になれたらいいなとうすぼんやりとしたアタマで思いました。

    久々に教科書から離れてのびのび読書が出来ました。
    ・・・・日曜日の試験はだいじょうぶなのでしょうか。

    まあ、なんとかなるさ。