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資格取得

死線を越えて

スクーリングから帰って来ました。

13日は代表して何人かの実習報告を受講者全体で聞きました。
そのあと、講評を含めて先生方のお話が。

授業のあとは懇親会。立食パーティー。

14日は20人くらいのクラスに分かれて各々の実習報告。

・・・で、やってしまったというか、不得手な「発表」をアドリブでまとめきれず沈没。
周囲の「あ~ぁ」という視線が痛かった。
先生もフォローしきれない脈絡の無い、焦点の定まらない状態でした。

いっぺんにいくつものことをさばけないので、次に話すことを考えながら話を進めることができない。みんなが自然に出来ることが出来ないのは一種の障碍なのだろうなと思います。

授業後、A先生に調子はどうか聞かれて「良いです」と答えてしまいましたが、実際のところ、「調子が悪いのがわからないくらい調子が悪い」状態でした。ストレスがかかってたのは自覚してましたが、思考が途絶しているのに気づいたのはしばらくたってからでした。

クリスマスの頃に報告書の添削が返ってきて、修正。
さらに来年、追加レポートがあるようです。

 
 
 
今になって思うに、懇親会に参加したのがまずかったかも。
多人数がガヤガヤやってテンションが上がってるところというのは大きなストレスになります。昔、学級委員やってた頃のトラウマなんかもあったりして。
社交辞令も苦手だし。宴会芸も持ってないし。

まあ、課題はたくさん見つかったので一つ一つクリアしてゆこうと・・・
・・・思うから足元から崩れるんですよ。

 
 
帰りに電車に飛び込もうと思わなくて良かった・・・
黄色い死線を内側へ越えておとなしく電車を待ちました。
そんなへこんだ2日間でした。

当事者PSWについていろいろ考えることあるけどまたいつか。

【精神保健福祉士】現在、スクーリングと懇親会の真っ最中です。

ただいま、留守にしております。

WordPress使ってるんだけど、今回、時限投稿できるかテスト。
この機能使うの初めてなんでドキドキ。
時間が来たら自動で記事がアップされると思います。
2008/12/13 17:00に設定したけどうまくいくかな?
投稿されてたら、みなさんランキングUPボタンでも押しといてください(^_^)

うまく表示されていたら、現在大学でスクーリング中のはず。カンヅメで勉強中です。
思えば長い長い過程を経てここまでたどり着きました。
まだ国家試験があるけど2年半かかりました。

最初は科目等履修生で入って、単位積んでその後入学したら1年で資格取れるかと思っていたのだけど大間違い。試験を取るためには前年度から選抜試験やらボランティア体験やらそのレポートやらが必要で、4年生に編入できても1年では取れない仕組みになっていた。(HPとかそのへんはっきり書いてないんだよ。ずるいよなあ。)最低2年必要になってました。

さらに、毎年資格取得の手続きは変わるようで、資格コースに入るために面接が必要になったり、ボランティアの時期が前倒しされていたりと、激しく変化しています。来年以降は社会福祉士のカリキュラム変更と連動していままでより大きな変化が予想されます。大変そうだよ。2年間では取れなくなる可能性もあるらしい・・・。

そんななか、なんとか実習報告までこぎつけました。
でも、ほとんど成長してない気がする。大丈夫かな私。
一か八かでの資格狙いだったんだけど、あと少し。
手が届くか否か。

実習報告が無事に通るかどうかが心配。
死線をさまよいながら書き付けた血のにじむような文章。
なんだけど、苦労した割りにピントが合ってなかったりします。

なんとかなってくれ・・・。

懇親会もあるのだけれど、人の集まるところ苦手だったり。
対人援助職としてはまずいのだけど。
自分の障碍はオープンにしているので気は楽なんだけど。

14日はグループディスカッション漬けの一日となるでしょう。
意見まとめるの苦手なんだよなあ・・・。

ああ、早く重圧から解放されたい・・・。

 
 
あ、それから13日の支度のために12日は買い物に出かけたのだけど、ついでに別の要件である電化製品を買ったら「これメーカー保障が1ヶ月しかついていないんですよ、それでもいいですか?」・・・と、ラッピングしてもらった後に言われました。1ヶ月って何だよ。せめて3ヶ月は使えないと・・・。このメーカー売り逃げする気かな?経過を見て酷いようならこのブログで告発してやろう。

そうなった時にはもう逃げられちゃってるんだろうけどね。
まだ、それが何かは秘密。

頭おかしくなったらどうするんだ!というくらい難しかった模試。

学校が行う精神保健福祉士の模擬試験を通信で受けました。
真面目に時間計ったのだけど、共通、専門両科目とも時間が余りました。
5択だから正解がわからないとしても答えは書けるんだけど・・・。

教科書にも載ってない事項がバンバン出てびびってしまった。
そういう問題は消去法で解くものなのだろうけど、今回共通科目の準備が不十分だったのでそれも使えず、勘に頼って強引に答えを記入していきました。

過去の試験経験から今回の出来を想像するに、共通科目は3割くらいしか取れないかもしれない。専門科目も6割到達がやっとかも。

やばいなあ。本番まであと1ヶ月強。気が抜けなくなりました。

体調が悪いこともあって、集中力に欠けて勉強のペースが崩れてます。
総崩れを起こさないようにしないと・・・。

 
しかし、難しかった・・・。
考えて答えの出る問題じゃなくて、知ってるか知らないかで決する傾向が強かった。
選択肢もいやらしい作りになってた。既知の知識では2択か3択までしか絞れない。
本番までにどこまで詰め込めるだろうか・・・。

 
 
あ、そうだ。本番は2日がかりの試験なので宿泊するホテルを確保しなくちゃ。
・・・と思ったら、会場の目の前のホテルはすでに満室。
近場に他にホテルは無く、少し遠めのホテルから2日目は早起きして会場に行くことに。
遅刻しないで済めばいいけど・・・。

これから一月、いっそうアタマに負荷をかけて過ごさねば。

過去問完璧に押さえるだけでもしておかないと。

・・・と、思い始めてしばらくたつんだよなあ。
精神力の無さは医者のお墨付きでもあるのでしょうがないっていえばしょうがないけど。

愚痴を言っててもしょうがない。
でも、自分を追い詰め始めるとあぶないんだけどなあ。

ああ、再発したら(半分してるのだけど)どうしよう。
頭がおかしいんだから頭がおかしくなるような試験は避けるべきなのか。
もともとおかしいのだから問題なしなのか?

それともアタマがおかしいやつが合格する試験なのか?

・・・先生にどつかれるな・・・。

くたびれたのでごはん食べて寝ます。
そういや今日は朝、どら焼き1個食べたきりだ。
昼飯も食べてない。なにやってるんだかなあ・・・。

ごはん食べられなくなるのはいつも病気悪化の前兆。
冗談抜きでやばいぞ・・・。

昼夜逆転が直らない。食事も不規則。再発の危険。

今朝はAM5:30に起きて勉強開始したんだけど、
おなかがすいてきてコンビニであんぱん買ってきて食べたら
どうも副交感神経が優位になったらしくて眠気が・・・
コーヒーも効かない。

勉強が手につかなくなったんで、少し昼寝を・・・

と思ったのが大間違い。PM8:00まで寝てしまいました。
pswの模擬試験前にがっつり勉強しようと思ってたけど
もう間に合いそうに無い。

明日あたり模擬試験にチャレンジしようと思います。
(通信講座だから自由な時間で受けられるわけだけど・・・。)
人名、歴史関係が壊滅する予感がしますが・・・。

思えば2004年頃、3交代勤務で工場で働いていた時は
昼夜の逆転をコントロールできていたのに・・・。

ただ、当時は夜食にはコンビニのそばくらいしか食べられなかった。
神経が張り詰めていて胃が食べ物をあまりうけつけなかった。
現在、神経系が正常に戻りつつあるのかな?

とはいえ、一日2食以下の生活がここのところ続いているわけで
あまり正常ともいえない。

週末のスクーリングの新幹線の切符を買いに行ってこないと。
解約する携帯電話系サービスの手続きもある。
年末のお出かけ時の駐車場の確保もしないと。
忘年会の誘いもチラホラ。

やることはいっぱい。集中できない。
いいことなのかわるいことなのか。
自分で自分を追い込んでいる面も。
睡眠が過剰になる原因か?悪循環を生んでいる。

仕事しながらPSW試験受ける人に比べれば楽なんだろうけど。
リストラがらみで必死なひともいるのだろうしなあ。

自分の弱さを感じるときです。
今日も面白いこと書けないや。がっくり。

「あたりまえの暮らし」ってなんだろう?

福祉の目で精神障害者を語る時によく言われる「あたりまえの暮らし」。
いま、レポートを書くために悩んでいます。

「あたりまえに苦労する」ことが言われてみたり、ノーマライゼーションとからんでみたり。
症状から生じることを素直に受け止めることなのか?
素直に受け止めた上で福祉関係者に必要なことを必要なだけ求める・・・?

それは「世間並み」とは違うのだろうとは思う。
「普通」という言葉もあてはまらないかもしれない。
(そもそも普通ってなんだ?)

統合失調症を患って、「喜怒哀楽」が変調をきたしているときには、世界は「あたりまえ」には見えない。そこから社会に結びついていくことが「あたりまえ」への道なのか?でも、「幻聴」「幻覚」の存在する世界で生きていくことになりそれは「あたりまえ」なのか?

精神保健福祉の勉強をしていく流れの中では困った時に適切な援助を得て、自分の意思で自由や権利を行使できるということが大切だということになるのかもしれない。まだ勉強中で自分の中でまとまらないけど。
 
 

でも、逆に世間一般の人は「あたりまえの暮らし」をしているのだろうか?
サービス残業や休日出勤に追われ、低賃金で解雇におびえ、パワハラに悩み、明日が読めなくて・・・。その結果、精神障害に追い込まれるような暮らしをしているわけで。

それが「あたりまえ」になっている。自分の意思ではどうにもならない毎日。
普通の人が「あたりまえの暮らし」ができていないのに障害者にそれができるのか?
いや、「あたりまえ」に暮らしているから「あたりまえ」でない生活が可能になっている?
なんだか混乱してきました。
 
 

それとも、厳しい中で小さな幸せをみつけてささやかに暮らしを営むことなのか?
苦しい中でもがんばって生きている人はいっぱいいる。

たとえ、努力が報われなくても、毎日をやりすごしていく。

「あたりまえ」を実感することはないのかもしれない。
狂っている世界での「あたりまえ」は実感してはいられない。

 
「あたりまえの生活を奪われた・・・」などというフレーズに出会ったりする。そんなときこの社会ではいろんなものが奪われている人間が「あたりまえ」なのにと思ったりする。大事なものの欠落を受け入れてゆくことが「あたりまえの暮らし」なのだろうか。

 
 
 
金曜日までにまとめてレポートにしないとならない。
勉強不足を痛感します。

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追記
2008/12/09 AM5:40
AM2:00に寝たのにもう目が覚めた。昨日昼寝したせいだろう。
アモバンの効力が切れたと同時に目が覚めた模様。
・・・「あたりまえの暮らし」、できていない・・・。