実習の方はなんとかヤマをこえました。
あとは報告書とか書類をやっつけるだけ。
さて、問題は国家試験対策。
とりあえず、ワークブックを用意したのでそれをこなしていきます。
800ページをどう料理してくれようか。
資格取得
実習の方はなんとかヤマをこえました。
あとは報告書とか書類をやっつけるだけ。
さて、問題は国家試験対策。
とりあえず、ワークブックを用意したのでそれをこなしていきます。
800ページをどう料理してくれようか。
PSW実習のまとめを文章にしなくてはならず悩んでいます。
はじめに思い描いていたよりはるかにほったらかしの実習でした。
でも、自分から患者さんに必死にアプローチしてました。
過剰にならないようにおっかなびっくりでしたが。
日誌も少し何かを記述すれば「理由や根拠も書きなさい」と言われ、
必死に考えてたくさん書くと「考えはまとめて書きなさい」と言われる。
批判と言うものはどういう場合でもできるわけで、
こっちが病院側に批判めいたことを書くと「もっと考えなさい」
なんか考えたことを記述すれば「それより前に考えるべきところがあるでしょう」
書類から必死で勉強していくと「患者さんの想いを大切にしましょう」
患者さんを見て素直に感想を述べると「知識は最低限度は必要です」
…疲れちゃった。
まとめないといけないけど、素直に書いたらまずそうなので、
必死に自分のできなさ加減を書き綴りましょうか。
実習の途中でいろいろ見てきた。
事務室で談笑しながら時間つぶして給料もらってる人を見て、
患者さんがかわいそうになってくる。
看護助手の方々はとってもいい仕事ぶりだった。尊敬に値する。
何に価値があるのか考えさせられた日々でもありました。
今年は夏休みが無かった。
16日に書類出しにもう一度病院へ。
17日は一日だけの夏休み。
18日から仕事に戻ります。
試験勉強に早く切り替えなくちゃ。
書類片付けよう。
実習がとりあえず終わって、体を休めています。
実習の最終日の日誌と全体を通してのまとめを書かねばなりません。
ずっと思ってたんだけど、「PSW」と「精神障害当事者」の両者を併せ持つということ。これは、当事者性を生かすことによってなにか大きなプラスになると思ってきました。
で、実習の日誌で精神障害者としての視点での物事の捉え方で何か書くと、PSWとしてそれはいかがなものか…的な反応が返ってくる。これに加えて「患者さんのこころを想像して…」と続いてくる。ずっと違和感が感じられて、自分を見失う。
指導教官からは実習の目標として求められるのは「PSWのあさ」であって「当事者でPSWのあさ」ではないと釘をさされた。
デイケアでの実習では障害をオープンにすることが病気の寛解と治癒の違いについての誤解を生んでトラブルを招いた。これは私も悪いのだけれど、患者が自分の病気や障害について学習する機会が少ないことも一因だと思う。勉強が嫌いな人がいるのは承知してるけど。
なにかおかしいと思う。
実習後半はずっと午前2時~3時くらいまで考えて日誌書いてた。朝6時半には起きないとならないのに。
PSWという専門職に就くためには条件がある。義務もある。守るべき倫理もある。
カンタンに名乗ることのできない責任があることもわかる。
能力や資質が資格を取る以上担保されてないといけないのも分かる。
でも、「PSWである]ことと「精神障害者である」ことではどっちが自分の核に近いのか?
ここで、PSWとしての能力がないと資格は意味を成さないのは分かる。
そしてPSWの実習は人間性が大きく問われることになる。
でも、精神障害を持っていることを無視すると私の特性の多くは封じられてしまう。
問題は、私の「自己覚知」が及んでいないところにあるはずだ。
でも、たぶん指導者側も、専門家であるゆえのバイアスがある気がする。
どんなバイアスかいまだに分からないのが私が悩む原因のひとつだと思う。
素直な意見が書けない実習日誌はしんどい。
実習前には外部の意見が職員に気づきをもたらすので喜ばしいと言ってたけど、結構指導者は固い。
学ぶ立場である以上、従うのが当然なのだろう。
まだ、資格にたどり着くまで大きな山がいくつもある。
地図はほとんどない。
目の前の藪を伐採しながら進むしかない。
(測量士時代を思い出してみたり。)
苦しい日々はまだ続きそうです。
おかげさまでPSW実習の日程が終了しました。
けれど、日誌はボロボロの評価。
ふりかえりのまとめもボロボロ。
及第点とれるのかな?
ほんとうのひとくぎりは16日に今日の分の日誌などの書類を提出してから。
連休中も書類書きです。
夕べは結局一睡もしてないわけだけど、
結構眠らなくても平気だな。変だな?
なんかが麻痺してるな。
今、実習日誌を書き終えた。AM6:54
出来はダメダメ。論理が崩壊している。
また叱られる。