一点集中突破で難局を乗り切るのにランチェスター戦略…。
で、ひとつの切り口でしか見えなくなってしまうのがタコツボ化。
表裏だね。
ネットの広告や、記事配信が個人に最適化されることでその人の好みの情報しか入らなくなることが警告されてて…。
最近のネット広告はあるものを買うと、もう必要ないのに同様なものばかりおすすめされて辟易。
検索で何かを調べると、それに関する結果に大きく偏って検索結果が表示されて…。
雑食の私の検索結果はというと、直近の購買傾向が濃すぎてプラスアルファの情報としてはあまり価値の無いものが多い。
もう調べましたから…というのが…。
あるいは、気まぐれに検索したものが後をひいてみたり。これも、「もういいから」だ。
ある意味楽でもあり、鬱陶しくもある。
多くの人間が使うマーケティングの方法がある程度固まってきているのだな。
こちらとしては、意識的にアタマをかき混ぜてないといけない。
それでいて、目標に向かってはある程度一貫させないといけないのだから厄介ではある。
バランスよく情報も摂取しないといけないのだろうが、
その取っ掛かりがどうもつかみにくくなっている。
みんなが専門馬鹿になっていくのだろうか?
キュレーションが情報を偏向させるというのは本来の目的に合っているのだろうか?
と、いうわけで、百科事典でもアカさまに与えておかないといけないかなと思うこの頃。
検索で出てくること以外にも世界はあるんだよって。
ググレカスと言われても、ググッた結果が偏向してるんじゃしょうがない。
で、どんな百科事典があるかな?とググったりすると…。
なんだか上手いこと絡め取られていく我々なのである。
コピペ論文なんかもこの流れで出てきたものなんだろうな。
一般教養を学ぶ必要ってのを感じてみたり。
お仕着せでない一般教養を。
さてどうしたものか?
一般教養が定型化されてるってのもなんか危険なわけで。
変態ブログになったこのブログ。
変人度合いも増していかねばならないと思ったりするのでありました。