カテゴリー: PSW

読みかけの本から考えた

精神科治療の覚書 (からだの科学選書)

これを読んでいて、まだ読みかけだけど考えた。

p68 より

患者が「怠けていてはいけないから英語でもやろうと思うのですが」ということもあるが、その時も「君は怠けているのではなく治療(休養)という大仕事をしている」ことはまず前提として告げるべきだろう。改善の時に少し自他がブレーキをかけるべきなのは、下山のときとかわらなくて「『梅一輪一輪ほどのあたたかさ』かな」という告げ方が家族に一番判ってもらえる言い方であることも多いが、もう少し直接的に「良い芽が出てくると引っ張ってでも伸ばしたいのは人情かもしれませんが、それで草木はのびますか」といわねばならぬこともある。

私は精神保健福祉士を取っていく過程をリアルタイムで実況してきて、実際、合格まで来たのだけれど、周りからはどう見えているのか、今までと別角度で考えてみたりした。自分が回復を始めたころの状況でこのブログのような記事を読んだらどう考えるのだろうかと。

読み手のことを考えるというのはきりがない話であって、何を書いてもなんらかの弊害が考えられる。書き手にどこまで責任があるのかというと、ネットではネットリテラシーという考え方があって、情報の取捨選択は読み手側の責任も大きいわけだけれども、統合失調症からの回復過程から考えてそれを求めていいものかどうか迷いを感じるようになった。

潜在能力の芽を摘むことは良くない。ストレングスは最大限伸ばすべきだろう。でも、時期というものがある。休息の必要な時に焦って資格や学校に挑戦することを勧めるのは注意が必要だろう。でも、それは本人の自己決定によるものであるし、目標を持つことが生活の張りになることも確かだ。しかし、私の記事が焦りを招くことになったりはしないかと自戒をこめてよく反省すべきところだと思う。

そして、私は現在、自立へ向かっての引っ越し・就労が目標となり、それをつづってきている。

いままで、いろいろコメントをいただいてきた中で、気になっているものがやはりある。
ほとんどは素直に応援していただいているありがたいものだと解釈しているが、
私の記事に触発されたのか、何かに焦っている印象を受けるものもある。
私の自意識が過剰なためにそう思えるのだと解釈してきたのだけれど・・・。

なぜそこまで?という反応に、私自身戸惑ったりしたのだが、
彼らの焦りを私が誘発したのだろうと今は考えている。

師匠からは、私がblogにあんな記事を書く動機が分からないとは言われている。
ほとんど自己顕示欲が元ではあるのだろうが、他の何かが混じっている気もする。

精神障害者への理解が、私自身足りないのだと思う。
この本を読みながらそう思う。

しかし、このblogの読み手側にそのあたりを斟酌して読んでもらうというのは無理があるのだろうか?私の不完全さ加減はこれでもかというくらい強調してきたつもりなのだけれど。

今後も大きく方針は変えないで行こうとは思うのだけれど、読む側の想いというものがあまり返ってこないこともあり、危険なことを書いてしまうかもしれないと思う。でも、危険の向こうに目指すものがある気もする。

私が何を言いたいのかわからないと思う。
でも、そこをわかってほしいわけであり、私は私であるということを頭の隅に置いて読んでほしいし、それでいてコミュニケーションは取っていきたいとも思う。みなさんのことを信じていいですよね?

さあ、本格的に何が何だかわからなくなったところで切り上げましょうか。

 
 
大阪で師匠に言われました。「結局は本人が何を求めているかだ」と。
支援はそれに沿って行われると。

それはそれで精神障害の特性からして苦しいものなのだけれど・・・。
私だけなのだろうか?精神障害一般に拡げるべきものではないのだろうか?

私はむしろ人間全体に拡げるべき何かがあると思うのだけれど。

それが何かは今後じっくり考えます。
さあ、わけがわからない記事になりました。
わけがわからない人間が書いていることがわかればわかるわけです。

今回の大阪での失敗と不安要素。

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住居探しは、就業・生活支援センターの紹介してくれた不動産屋さんを通じてやっているのですが、どのくらいの情報が伝わっているのかがわからなくてちょっと失敗。守秘義務との関係で難しいところではあるのですが。

話を進めていくうちに当然、こちらの情報を出していくことになるわけですが、自分が「統合失調症」であることが不動産屋さんに伝えられていなかったことが判明。クローズド状態だったものをうっかりオープン状態にすることになってしまいました。失策やったかな・・・。

で、その不動産屋さんは統合失調症をオープンで家主に交渉したことがあるそうで、その時は家主が受け付けてくれなかったとのことでした。しかも複数のケースで。ありがちなことなのでしょうか。

そのあたりの調整を就業・生活支援センターに期待していたところがあったのですが、ただ、不動産屋に大雑把に紹介をしてくれただけのような気配が。また、不動産屋も不動産屋同士の連携があり、今回は孫請け的なところが契約関係を処理することになるようです。

障害があることによって差別を受けるのであれば、ハッキリその旨言ってくれればいいのですが、間に不動産屋が入ることによって家主と直接交渉をするわけにもいかず、社会の理解が進まない現状に対してアクションを起こせないことになります。

これは、職業紹介についても同じことが言えるわけで、人と人とのつながりの間に入ってくるコーディネーターの役割がある種の弊害を生んでいるところもあるのだろうかという気にもなります。コーディネーターは守秘義務をどこまで守るべきか。最初に申し込む時の約束としては、支援に必要なことについては情報を相手方に伝えることがある…といった感じの取り決めをするのですが、具体的に動いてみるとこんなあいまいなことではいけないわけで、難しいところではあります。

今回の移住については、ワーカーとしてどんな動きをして生活や就労を支援しているのか、自分がワーカー側に立ったらどんな感じになるのか想像しつつ、各機関にお願いしてみて様子を見ているのですが、学校で習う原則と実務との差はやはり大きいわけです。就労継続B型でも感じていたことではあるのですが。

理想と現実。

この乖離をどこまで解消できるか、自分を実験台にいろいろ試してみたいです。

あんがいあっさり事が進むかもしれないので「考えすぎはよくない」みたいな、私としては気持ちの悪い結果になることもありえるわけで、これから1週間ぐらいが「何か起きる」期間であり、緊張が高まっています。

なんで「考える」ことをやめろとみんな言うんだろう。
そりゃ考えた通りに事が進まないのはわかってる。良くも悪くも。
でも、結果良ければすべて良しでは、他に応用が利かないじゃないかとも思うのですが。

まあ、不安が私を駆動する主な動因なのでそう言われるのかもしれないけれど・・・。

さて、どうなることやら・・・。

期待すべきことをまちがえているのか。自分が主体となるのが本来なのか?
自分が主体になるというのはどういうことなのか・・・?

なんかよくわからなくなってきました。

でも、自分のために動いてくれている人がいることは確かです。
感謝の気持ちは忘れないようにしたいです。

やっぱり実習先にもお礼状出そう

やっぱり世話になったので、実習先あてにも、お礼状書きました。

字が下手なので恥ずかしいけれど、4週間も世話になって
ほったらかしはいけないだろうと思いました。

担当ワーカーさんのことを思い出すと、実習の振り返りで
鋭い質問でどんどん追い込まれていく嫌な記憶がよみがえります。

でも、私の基礎の大きい部分はこの方が作ったところがあるので
これからのものの考え方はずっと影響されていくのだろうなと思います。

お昼になったら郵便局に出しに行ってきます。

なんか、これでスッキリしそうです。

ところで、ブログを毎日書いてると文章考えるのが速くなりますね。
以前では、だいぶ悩んで書いてたものが、すらすら考えながら書けるようになりました。
本当は、よく考えて書かなければいけないのだろうけれど。

ブログでは結構、頭を使ってることが多いです。
長い文章書こうと思えばいくらでも書けるのを、
すっぱり切り上げる加減の仕方を今、学んでいます。

あとは、わかりやすさが目標。
前よりマシになったと思いますがいかがでしょうか?

お世話になった方々へのお礼状

お世話になった学校のスタッフの皆さんにお礼状を書きました。
下手な字だけど直筆で。失敗しながら。

2年半の感謝を込めたけれど、伝わるかな。

こういう時に習字を習っとけばよかったと思います。
メールでもよかったんだろうけれど、あえて直筆。
まあ、読めりゃいいんだ。読めりゃ。

実習指導のワーカーさんにも書いたほうがいいかな・・・?
現場ですごく邪魔そうな扱いを受けたと私は感じているので、
(実際、邪魔以外の何物でもなかったと思う。)
ちょっと迷ってます。

合格証書が届きました

紙切れが封筒に入って届きました。

精神保健福祉士国家試験合格証書
精神保健福祉士国家試験合格証書

紙切れなんだけど、このためにどれだけのパワーと時間を消費したか・・・。

・・・感無量です。
 
師匠はこれ晒すなと強く言ってましたが、あえて晒します。
晒すか晒さないかでもめました。
名前モザイクかけりゃいいだろう!

私が自慢したがってるのを必死で止めようとする師匠とバトルしてしまいました。
もし自分の同僚がネットで晒してたら引くってさ・・・。
昨日の報告書も普通の人はブログに載せたりしないって咎められました。

こっちは2年半の鬱積したものがあるわけで、師匠に抵抗してみました。
頑張ると壊れやすい人間があえて頑張って勝ち取ったんだ!!(実際壊れた)
後が恐いのですが、ええじゃないか。

同封されてきた登録用紙で登録を済ませて初めて
精神保健福祉士を名乗ることが出来るようになります。

登録などになんだかんだで2万円くらいが必要になります。
福祉の世界の薄給ぶりをもう少し考慮して欲しいところではあります。
当事者は1割負担でいいとかそんなのがいいな。