私には師がいる。ある施設で働くPSWの先輩だ。
師とはずいぶん長いこと対話を重ねてきた。
精神保健福祉士の資格試験の後、私は就職口を探しに都会に出てみるつもりでいる。
社会資源の整っているところで、病者としての自覚を持ち、かつ、一歩前に進むことが出来るか探るつもりだ。
しかし、私の生活能力は都会での一人暮らしに耐えられるほど高くない。
ストレスにも弱い。
自分の障碍を受け入れ切れるかもわからない。
プライドもある。
一人暮らしが出来るのかわからない上、
オープンで仕事を探して、十分な暮らしが保てるのか自信がない。
師は私を抱えきれるほどには強くない。万能ではないのはお互い分かっている。
それでも、前に進むつもりだ。
そこへ踏み切るのが「ごくあたり前の生活」につながっていく。
師は私の面倒を見ることが出来るか心配している。
師の信条は独特のものがあるので、それを私は追いかける。
届かないところは一緒に考えてもらうつもりだ。
しかし、私と師は別の人間でもある。それぞれの人生はそれぞれに責任がある。
私の調子が崩れるのではないかと師は心配されている。
でも、崩れても他にいい活路は見当たらない。
今日も師と話をした。
心配や不安を共有してくださる貴重な方だ。
一生ついていく覚悟で私は信頼している。
私がしっかりしなければならない。
就労して安定して独り立ちできないとならない。
でないと師を安心させられない。
がんばると無理が生じて倒れるのがわかっていても、
それでもがんばらないといけないのがこの社会だ。
社会の方を変えてやりたいがそこまでの力は無い。
ソーシャルアクションを起こすほどの無理が私には出来ないのだから・・・。
(いつかはできるようになるのだろうか?)
だから、がんばる。できることを。
今日勉強した「公的扶助論」。自分の身に突き刺さる内容だ。
歴史が苦手だと甘えてはいられない。
今後の「社会福祉原論」「社会保障論」「地域福祉論」と続く苦手科目。
試験まで残された時間は少ない。
まずは一歩を。
一日一日を必死で。
薬でボーっとしているアタマでも乗り越えていく。
確実な知識を自分の手に。
言い訳はしていられない。
ジプレキサになど負けてはいられない。
状況は一日ずつ厳しくなる。ここが正念場だ。
苦しい。とても苦しい。
でも、師はもっと苦しんでいる。
いろいろなことを知るものは、それだけのものを背負ってしまう。
人のために泣くことのできる師に報いたい。