カテゴリー: PSW

PSW実習報告書を書き上げて

PSWの実習の疲れから脱し、日々の仕事からの疲れに疲労の質が移行してきました。
動けなくなる前に実習報告書を思い切って仕上げました。

A4一枚にまとめろと言うのは難しいことでした。40文字×40行。
計24日間の集大成がこれっぽっち?

実習中、日誌は過剰なほどのボリュームで書き綴ってきました。
指導者の方からは「もっとまとめなさい」と苦言をいただくくらいに。

報告書は取り組みで感じたこと少々と、印象に残ったケースをひとつ取り上げてまとめておわり。

24日間はもっといろんなことがあって非常に苦しんだのですが、ほとんど割愛。
苦しんだ分成長したかと言えば、そうでもなく、自分を確認しただけで終わった感じ。

かなり考えた実習だったはずなのですが、枠もそれなりに強固で新しい発見に至ったわけでもなく、自分の当事者性を活かした援助についてはほぼ棚上げ状態です。クライエントは私の障害にかかわってくるのではなく、ご自身の障害で手一杯、PSWの側の過去(病歴や職歴)は援助にはあまり関係ない。むしろ邪魔になるのかも。今後、ピアの視点を使うポイントを模索していく必要があります。

あとは報告書の施設概要についての記述などで抜けているところを埋めれば書類上は片付きます。

さあ、国家試験に向けて切り替えをしっかりしないと。
現在、当初の計画からすでに数日の遅れが発生してます。
仕事の方も切り替えていくことがいくつかでてきて考えないといけないことが多数。
判断の遅れから周りに迷惑かけてることもあり、取り繕わないといけないこともある。

なかなかペースがつかめず、非定型なストレスに見舞われてます。
不安も強く、ここでしっかりしないと崩れはじめたら一気に崩壊しそうな感じもします。

月末~月初の事務作業も待ってます。
ファイルサーバの構築は技術的には目処が立ったのであとは予算をつけてもらえるかどうか。技術的に私のサポートをしてくれるメンバーさんがいてくれると助かるけど、

…厳しいなあ。

報告書できたし、なつやすみとりたい…。もう秋だけど…。

くるい きちがい考

PSW実習で指導者に「普通」と言う言葉をうっかり使ったら、「普通」ってなんだと突っ込まれました。暮らしていくのにさしさわりのないこと…位しか思いつかなかったのだけど、もっとよく考えろとのこと。暮らしにさしさわりがないってどういうことなのか?

学校のメーリングリストで他の方にどう思うか質問してみました。
そこで勧められたのがこの本。

じつは何年も前に読んで、枕元にいつも置いてある本のうちの一冊です。
「クルッテイル」のは個人ではなくて周囲の社会かも…。

普通に暮らすと言うのは狂った社会に自分を合わせて過ごすことなのか?
精神障害を負って、妄想なんかを抱えて苦しみながら社会にあわせる?
大変な事です。個人を社会に合わせるのも、社会を変革するのも。
 
 

実習指導者は「社会」というのを「クライエントの周囲の人たち」に限る事で切り抜ける事ができると教えてくれました。普段、マスコミででっかい問題が語られてるのを見て、社会全体の考え方を変えなくちゃいけないような気分になったり(障害者の権利を求めたり、偏見をなくそうとしたり)することもたまにあるのだけど、それは無理だし(いや、無理と言っちゃいかん。努力は必要だし)、逆に危険な考えでもある。

でも、困っている個人の周りで関わる人たちだけを少し変えることならできるかもしれない。(それでも難しいのだけど)クライエントの暮らしていく範囲でかかわりを持つ人たちに理解があれば、なんとかなっていく。暮らす範囲を広げる時はそのつど、すこしづつ理解を求めていく。地道だけど、苦しいけど、コツコツやるしかないのかな。

 
 
「普通」って自分の手の届く範囲でしか通用しない言葉なんだと再認識。
で、「常識」や「ルール」とかとも折り合いをつけなくちゃ暮らせない。
統合失調症の自分にとっての「普通」ってかなり困難を伴う「普通」だったり。
バイステックのいう「個別化」とも関係してくるんだろな。

「普通でないこと」「じぶんだけの特別なこと」を求めてみたくもなるけど、
「普通」を基準にしてしまう以上、たかがしれていたりするのだろうな。
そして、本気で求めたら周りのひとを困らせる。
「普通」との綱引きをしていく体力が必要なんだろな。
 
 
「きちがい」にあこがれる人もいるみたいな気がするけど、
病気にならなくても周りの人間困らせる人は「きちがい」なわけで
ほとんどみんなが「きちがい」なんだろうな。

ほっとするような、つまらないような。

学習計画

実習の方はなんとかヤマをこえました。
あとは報告書とか書類をやっつけるだけ。

さて、問題は国家試験対策。

とりあえず、ワークブックを用意したのでそれをこなしていきます。
800ページをどう料理してくれようか。

まとまりのないまとめ

PSW実習のまとめを文章にしなくてはならず悩んでいます。

はじめに思い描いていたよりはるかにほったらかしの実習でした。

でも、自分から患者さんに必死にアプローチしてました。
過剰にならないようにおっかなびっくりでしたが。

日誌も少し何かを記述すれば「理由や根拠も書きなさい」と言われ、
必死に考えてたくさん書くと「考えはまとめて書きなさい」と言われる。
批判と言うものはどういう場合でもできるわけで、
こっちが病院側に批判めいたことを書くと「もっと考えなさい」
なんか考えたことを記述すれば「それより前に考えるべきところがあるでしょう」
書類から必死で勉強していくと「患者さんの想いを大切にしましょう」
患者さんを見て素直に感想を述べると「知識は最低限度は必要です」

…疲れちゃった。

まとめないといけないけど、素直に書いたらまずそうなので、
必死に自分のできなさ加減を書き綴りましょうか。

 
 
実習の途中でいろいろ見てきた。 
事務室で談笑しながら時間つぶして給料もらってる人を見て、
患者さんがかわいそうになってくる。

看護助手の方々はとってもいい仕事ぶりだった。尊敬に値する。

何に価値があるのか考えさせられた日々でもありました。

今年は夏休みが無かった。
16日に書類出しにもう一度病院へ。
17日は一日だけの夏休み。
18日から仕事に戻ります。

試験勉強に早く切り替えなくちゃ。
書類片付けよう。

PSWと当事者性の矛盾みたいなもの

実習がとりあえず終わって、体を休めています。

実習の最終日の日誌と全体を通してのまとめを書かねばなりません。

ずっと思ってたんだけど、「PSW」と「精神障害当事者」の両者を併せ持つということ。これは、当事者性を生かすことによってなにか大きなプラスになると思ってきました。

で、実習の日誌で精神障害者としての視点での物事の捉え方で何か書くと、PSWとしてそれはいかがなものか…的な反応が返ってくる。これに加えて「患者さんのこころを想像して…」と続いてくる。ずっと違和感が感じられて、自分を見失う。

指導教官からは実習の目標として求められるのは「PSWのあさ」であって「当事者でPSWのあさ」ではないと釘をさされた。
デイケアでの実習では障害をオープンにすることが病気の寛解と治癒の違いについての誤解を生んでトラブルを招いた。これは私も悪いのだけれど、患者が自分の病気や障害について学習する機会が少ないことも一因だと思う。勉強が嫌いな人がいるのは承知してるけど。

なにかおかしいと思う。
実習後半はずっと午前2時~3時くらいまで考えて日誌書いてた。朝6時半には起きないとならないのに。

PSWという専門職に就くためには条件がある。義務もある。守るべき倫理もある。
カンタンに名乗ることのできない責任があることもわかる。
能力や資質が資格を取る以上担保されてないといけないのも分かる。

でも、「PSWである]ことと「精神障害者である」ことではどっちが自分の核に近いのか?

ここで、PSWとしての能力がないと資格は意味を成さないのは分かる。
そしてPSWの実習は人間性が大きく問われることになる。
でも、精神障害を持っていることを無視すると私の特性の多くは封じられてしまう。

問題は、私の「自己覚知」が及んでいないところにあるはずだ。
でも、たぶん指導者側も、専門家であるゆえのバイアスがある気がする。
どんなバイアスかいまだに分からないのが私が悩む原因のひとつだと思う。

素直な意見が書けない実習日誌はしんどい。
実習前には外部の意見が職員に気づきをもたらすので喜ばしいと言ってたけど、結構指導者は固い。

学ぶ立場である以上、従うのが当然なのだろう。
まだ、資格にたどり着くまで大きな山がいくつもある。
地図はほとんどない。

目の前の藪を伐採しながら進むしかない。
(測量士時代を思い出してみたり。)

苦しい日々はまだ続きそうです。