カテゴリー: PSW

良い機会だからみんなも知っといてね

さあ、みんなで勉強しましょう!
精神保健福祉士というのはですね・・・。

http://www.japsw.or.jp/psw/index.htm

よめるかな?

注目すべき所を引用すると、

なお、PSWは医療職ではありませんので、医師の指示によって業務を行うものではありません。ただし、「主治医がいれば、その指導を受けること」もPSWの義務として定められています(精神保健福祉士法第41条第2項)。つまり、主治医の意見を聞き、指導を受けますが、PSWとして独自の専門的な視点に基づく判断と、それによる支援を行う職種となります。また、病院の外の他機関との連携による援助活動を展開する視点も必要です。

「指示」と「指導」ここに大きな差があります。

医師の意見は聞くけれど、その通りに従うことは強制されていません。さらに看護師など、その他の資格所持者の「指示」に従う様に義務を負わせた法律があるなんてことは、寡聞にして聞いたことがありません。そういう法律があったら条文見せてください。勉強しますから。

守備範囲が違うのだからごっちゃにされると困ります.

・・・語るに落ちる。ね?

自分の考える事と見える事の限界。

批判的文章を書くときにいつも思う事があります。

それは、自分の言葉は自分の思考の幅までしか届かないという事です。
ゆえに、他人を批判するときにはまさに自分の鏡として文章が紡ぎ出されます。

自分が他人の思考を批判するときは、同時に自分の思考を批判しているわけです。
あくまでも、他人と思っているのは、自分の中で作られたその他人の像に過ぎません。

自分の中で他人の像を作り出すのには、自分の中でのボキャブラリーやモデルしか使えません。思った事を表現したり常識を語るとき、それは他人の姿をした自分の影を語っているわけです。

常にそんな事を考えていては何にもかけなくなってしまうから、
普段は気楽に構えて書き綴れば良いのですが、クリティカルな場合は注意が必要だと思います。

シバさんにこないだ指摘されたけれど、疲れているときには視野狭窄が起こりやすいです。
自分の中での他人の姿はあくまでも自分で組み立てたものなのです。

しつこく繰り返しちゃってるけれど、
ひとを批判する事は、自分自身を批判する事にもなります。
日頃から注意していないといけないことではあります。

まあ、普段そんな事考えていては、疲れてしまうから気楽にしてブログを綴るわけですが・・・。

人間って面白いね。

PSWになるためにいろいろ指導を受けたのだけれど、
その中のキーワードに「自己覚知」というものがあります。
詳しい意味はそのスジの本で学ぶのが良いと思うので割愛します。

カウンセラーや精神科医の「転移」「逆転移」や、
もっと一般的には他人に「巻き込まれる」という事態と同じ系統の話だと思います。

それが必ずしもいけない訳ではありません。
しかし、そういう状態にある事は自覚しながらでないといけないなと思います。

 
 
堅苦しくなったけれど、現状楽しくやれているので良いかなと思います。

つうか、そんなことより確定申告をはやくしないといかんのだ。
仕事に戻らなくちゃ。

ピアスタッフについての疑問についての疑問

今日は、一番親しくしてもらっているPSWの方と過ごしたのですが、
「こころの元気+6月号」にピアスタッフに対する疑問の投書が乗ってるよ。
と、教えていただいたので、興味を持って読んでみました。

62ページに確かに載っていました。

投書した方の参加している集まりに参加しているピアスタッフにどう接するべきか困りつつ、ピアの立場で資格は意味を持つものなのか?という事について考えていらっしゃる内容でした。

私も統合失調症を抱えつつ、精神保健福祉士の資格を持っていますので、いろいろ考えるところですが、この記事でいちばんひっかかったのは、「ピアでかつ支援者であるから特別な事ができる」と考えているのはおかしい、「件のピアスタッフが一般のメンバーと違っている事を誇示しているという感じを受ける」といったくだり(要約しました)です。

それってピアだからなのでしょうか?

私も精神保健福祉士を取得する際の実習や演習でかなり悩んだのですが、支援者がピアである事と支援者の能力については別である事と、ピアである事は資格とは関係がないという事を学びました。

この投書をした方は、もし、そのピアスタッフがピアの立場でなかったとしたときに、同じ行動をとったら疑問を感じたでしょうか?ピアだったから、人間関係に上下ができて嫌だと思ったのでしょう?ピアスタッフの行動から障碍者の中に勝ち組、負け組ができると感じたのだと思います。

ピアスタッフに何を求めていたのでしょう?支援でしょうか?代弁でしょうか?・・・それとも他の何かでしょうか?

この筆者の意見は極論すると、人間同士の間には格差があるという事を前提とした意見だと思います。健常者と障害者は違うんだと。健常者が資格を取ったら評価に値するけれど、障碍者が取ったら差別意識の元になるという感じの。(言い過ぎているのは自覚してます)

同じ事(問題行動)をしても健常者だったら許されて
障碍者だと差別だと言われてしまうのでしょうか?

件のピアスタッフの行動の詳細が分からないゆえ、また、一方からの意見しか書かれていないために判断する事はできませんが(かなりの問題行動があったんでしょうか?)、発生した問題について疑問を投げかける事は必要だと思いますが、それとは別に問題は問題、資格は資格であるわけで、筆者の方は当事者が資格を持つという事に過剰に反応していると思われます。

健常者が資格を取るのに対しては疑問を持たないのでしょうか?
そして、その資格のもとに何か特別な事ができると思っていらっしゃるのでしょうか?

精神保健福祉士はいわゆる「名称独占」であり、
単にそれをなのることができるだけのものです。

それ故でしょう、精神保健福祉士の養成過程においては「精神保健福祉士の価値」ということについてみっちり学ばされます。(だけど、この価値ってやつはハッキリとした概念ではないらしく、明快なわかりやすい定義は示されていないように思います。)また、精神福祉士協会などでは資格所持者のよって立つ基盤が常に模索されています。倫理綱領とか。

結局、ピアだから良いとか、健常者だから良いという事ではなく、ましてや障害者の内部での格差につながるものでもないと思われます。

ピアだから上下関係ができるというものではないと思います。
健常者と障害者の間の格差(上下関係)も同様だと思います。

 
 
わたしは時々極論として「人類総障害者論」的な事を考えるのですが、なんでこの投書をした方が資格所持者の障害者の問題行動にことさら疑問を抱くのか、いろいろ考えてしまいます。

健常者が資格を取ったって同じではないのでしょうか?
健常者スタッフには何も言わないのでしょうか?
「資格がなくてもピア同士で、充分悩みをわかちあえると思います」
との一文がありますが、だったらスタッフにだって資格は必要ありません。
名称独占だから当然です。ピアでなきゃ嫌なんでしょうか?
ピアでなきゃ分からないことがあるのでしょうか?ホントかな?

障害者に資格の必要性が有るか無いか・・・と問うならば、
健常者にだって資格の必要性があるか否か問う必要があると思います。

なんで資格があるか?必要なのか?その資格で何をするか?
ピア限定の話ではないのです。

・・・ってなことで、他人の上から目線を気にする人って、大抵、自分自身が上から目線で他人を見ていて、その事に気づいていないんじゃあないかなって思ったりします。
 
 

私(あさ)はどうかという話になりますか?

もう、思いっきり上から目線でいきますよ。
何様だこいつってくらいに。

「みんなちがってみんないい」って言うんなら、
みんなが「オンリーワン」だって言うんなら、
障害者だけじゃなくて、犯罪者だろうが、テロリストだろうが尊重しなければ。

そんなのは嫌なので、ごく普通に(この普通ってやつが奥深い概念です)
上から目線でものを見ます。自分以外の人間の考えてる事なんてわかんないよ!

全世界、一人残らず障害者です。
いろんなことをやり残して死んでいくんだと思います。
やりたいことをやれないって、「障害がある」ってのと同じようなことだと思うのですが。

もう、上から目線バリバリです。

で、同時に、他人に助けてもらわないと生きていけないとも思います。

ええ、へなちょこですから。世間をなめているんですよ。
こんなんで生きていこうっていうんですから、上から目線なんです。

 
 
 
生まれて来てごめんなさい。
精神保健福祉士なんか取っちゃってごめんなさい・・・。