カテゴリー: 統合失調症

ひきこもりもいい加減に…

引きこもって自分が悩むのは仕方ないつうか、
ある種、通過する道の一つではあるけれど、
他人様に迷惑かけちゃいかんがな。

病識がない統失で被害妄想か幻聴持ってるらしいのが
攻撃衝動に任せて色々やってるのをどうするか。

外に出てくるのはいいんだが、よそんちに迷惑かけられてるという考えで
迷惑かけるのはちょっとなあ。

なんとかせんと、警察沙汰になるがな。ってもうなったらしいのだが。

世間の理解は進んでいない。
寛容でいるのは限界がある。

ということで、動かないといかんな。

ほっとくとヤバいとこまで来てる。

監視カメラ本当に付けられるってのは・・・。
対応としては火に油を注ぐような・・・。

やれやれだぜ。

通院日・本来のパフォーマンス出てません。

新年、冬休み明け最初の通院日。P科。
診察・予約の1時間遅れ。
薬局・2時間待ち。

みんな休みボケなのか、本来さばけそうな量がさばけていない。
医師も薬剤師も自分も何かおかしい。

帰ってきて洗濯物片付けて、いま。

よる7時から会議。
モラルもマナーもない俺に、モラルやマナーの問題振られてもなあ。

署名捺印して自分の意見書いた書類って自分の発言に責任持つってことなんだろうけれど、
公開されるとなった途端、「それはルール違反だ」と噛み付いてきた。
どっちが正しいのかわかんないぞ。
書いた人間が特定されて困ることにハンコまで押すか?
と思うのだが、

穏便に事を進めようとするあまり、噛みつかれた手を引っ込めるようだ。
噛まれたら喉の奥に突っ込んだほうが、実は被害が少ないように思うが。

とにかく、裁判好きが多い。
そんなに金があるのか?暇があるのか?
口だけだして他人に訴訟起こせと突っつくのもなんだかなあ。

みんな敵を求めてる。

時間が惜しいんだけどなあ…。

もう…。

自分に生きる価値がないと思ったら死ぬべきか。

考えても仕方ない、詮無いことを考えるぞ。

生きる価値がないかあるか。
本人の望まぬ延命は是か非か。

価値ってなんなんだ?

>延命治療拒否で、説得してとお医者さんからヘルプです。
>父と定年後の保健制度のあり方を話す
>死を覚悟した人としては、仕事をリタイアした人に延命治療はあり得ないって感じらしい、
>反面 貧乏人は死んでもしょんないって事を言ってるけどね🎵
>まあ、戦争を知っている人からすれば、甘々なんだろうか?

まずここで、死とは何かを理解しているか?というのが一点。
死とは何か、他人の死を見てきたものは想像はできるが、
他者の死と自分の死は決定的に違う。
死を覚悟するということはどういうことなのか?

仕事をリタイアした人は死ぬべきか?
仕事だけが人生なのだろうか?
生産至上主義に陥ってはいまいか。
働かざるもの食うべからず・・・?
なんで?

定年後の保健制度・・・お役人は机の上でモノを考えている。
一方、現場は矛盾と波乱に満ちている。制度なんかで収まるものではない。
落とし所を探るのはできても、最適解などはないのが真実だろう。
貧乏人は死んでもしょんない→カネは尺度の一つでしかない。
生きることができるなら生きる。死ぬときは死ぬのではあるが・・・。

この世界で、
自分には生きる価値があると思っている人間は傲慢だと思う。
生きる価値というものが何なのか、自分に都合よく決めているのであろう。
逆も然りで自分に生きる価値がないと思うのも傲慢だ。
死を辞さないのは「他人のため」という欺瞞的な思考がなくはないか?

生きる気がなくても生きている人間は大勢いる。
普段は生死なんて考えないのが普通なのだが、
意識にのぼらずとも生きようとするのが生物なのではないかと思う。
それで苦しむわけで、

人間、自分が希望して生きているわけではない。
生きているから生きている。
トートロジーみたいだが、生死は自分の自由になるものではないのだ。

俺は統合失調症の経験から、
この世界は一切信用ならないもので構成されているという認識を持ち、
それでも、自分の「存在」のみは確実なものだということを知り、
流れに抗ったり、流されたり、いろいろ一貫性なく生きている。

矛盾に満ちた人生であり、俺の人格は矛盾に満ち、都合よくその場しのぎで生きている。

でも、思うに任せられない状態で生きているのが人間であると思う。

自己決定とか、当事者の意思を尊重して・・・などというが、
自己とはなんだ?
意思ってなんだ?

結局はその場しのぎにうつろいゆく、不確かなものに過ぎない。

統合失調症に加えて、俺は脳をいじられている。
死を覚悟して脳みそをほじくり返され、
流されるまま、自己の意思の確実性に疑いを持って生きている。

自分の価値を自分で判断できるものなのか?
また、周りの意見で判断するものでもない。

なるようにしかならない。

ならば、あえて生きるのを放棄するのも、生きるのに固執するのもアリだろう。

そこまで行って
「死ぬる時節には死ぬがよく候」
が出てくるのか。

しかしこれは自分で自分の死に対して言う言葉ではない。
他人にかける言葉でしかない。

自分で自分の死期は決められないのだ。当然。

自死を選ぶ人間の気持ちもわかるのではある。
しかし、考えれば考えるほど苦し紛れの方策に思える。
舵を切る方向が分からないはずなのに舵を切っていると感じるからだ。
生き続ける方向に舵を切るのも、わからないまま舵を切ってはいるのではあるが・・・。
死ぬのも生きるのもチキンなのである。

というわけで、今年は酉年です。
フライドチキンなどにされるためや鳥インフルで何十万羽単位で処分される鳥に思いを馳せ、

醜態を晒しつつ、生きていく所存なのだが、

他人については、勝手にしやがれである。
今まで散々生きてきといて、「潔く死ぬ」なんて言えないのである。
厳しいけれど、俺は統合失調症持ちのステージ4のがん患者として往生際など考えている余裕はない。

生きているから生きている。・・・らしい・・・。としか言えん。
不可観測、不可制御。
どうしようもないことを問われても、どうしようもないねえと応えるしかないのだ。

当然、これだけ書いたこの文章、価値などあるかないか知ったこっちゃない。

あー、長い。うざい。

・・・つーことでまっちゃんは事態をよく観測して所見をこっそり教えるように。
私信でした。
うっかり読んでしまった赤の他人は残念でした。
脳みそかき回された気分をお楽しみいただければ幸いdeath。

「精神疾患の入院患者の15%を地域で暮らせるよう支援へ」…って、マジか?無理とまでは言わんが、それを望む入院患者が15%いるのか?そういう社会なのか?

NHKのサイトより。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161222/k10010817281000.html
マジで地域で暮らすにはハードル高いぞ。

何か秘策でもあるのか?

一人一人別の人間に個別に対応して生活立ち上げるわけで、
4万6千人に対応できるマンパワーがあるのか?

自助努力で…とでも言うのか?
健常者でも苦しい昨今だぞ。

単なる数字合わせじゃないだろうな?
地域福祉の現場の状況をわかってるのか?

理想なのか?現実的数字なのか?

まず、「地域で暮らしたいと考えている」入院中の障害者が4万6千人いるのか?
そこからはじき出した数字なのか?

予算からの逆算で追い出すだけの算段じゃないだろうな?

ボランティアは燃え尽きるぞ。

具体的には、患者の自立を支援するため、自治体や医療機関、それに福祉施設などが連携して相談態勢を充実させたり、住民やボランティアがサポートする仕組みを整えたりするということです。
入院患者の退院について具体的な目標が示されるのは初めてで、厚生労働省は来年3月までに具体的な制度作りの検討を行い、自治体に示したいとしています。

ま・・・まだこれから考える・・・ってことか?
振り回されて、現場が荒れそうな悪寒がするぞ。
厚生労働省が財務状況から逆算したんだったら…。

ちょっと、これ、注意していないと…。

退院できるのはいいけれど。

いろいろと・・・。

なんか…。

自立支援法の時のことを思い出す。

どうなるんだ?

気になる技術

ここまできてるのか・・・
自己意識を本人が無自覚のうちに変容できるニューロフィードバック技術の開発

これ悪用すると、確信度めっちゃ上げることも下げることも可能なわけで・・・。
怖い想像をしてしまうのですが、

有用な利用がなされれば、われわれの助けになるかも。

まあ、まだまだ実験室の中の話では・・・ある?

ところで、腹下りは落ち着きを見せています。
1日何回かの下痢で済んでいます。詰まっているとも言うけど。
何か引き金があると、ぷしゃー状態になるらしい。

色々実験してみたいが、パラメータ多すぎで…。
また危険だし。

技術の進歩のためには、犠牲が必要なのか?
って、腹下して逝ってしまいたくはないわな。
コレラ・赤痢を考えると、あまりにひどい下痢は命取りになりかねない。

ノロやインフル流行ってるけどそれとも違うんだよな。
たぶん。

冒頭の技術悪用されて、便意の確信度めっちゃ下げられたらどうしよう。
とか、いらん想像をするのでした。