「常識的に考えて…。」と自分の「常識」をひとに押し付ける人に出会った。
ひと一人の把握できる世界なんてちっぽけなものだよ。
器が大きいと言われる人でも同じだよ。
自分の軸足がどこかに乗ってれば偏りは常に生じる。
で、軸足を置かないと他人とのコミュニケーションは困難になる。
軸足移動は他人を混乱させる。
このブログではしょっちゅう軸足移動をして楽しんでるんだけども。
「常識で考えればわかる」って…他人に判断を求めて、
自分の常識から外れると文句垂れる。
常識の世界が狭い。
コッチが非常識かというと、まあ、非常識なんだが、
それは立場の違いからくる「常識」の違いでもあり…。
自分は「他人にフラットに接する」ってのたまうけれどそんなのは無理なのが
常識だと思うんだけれど、自分の非常識に気づかない常識人に辟易。
責任を他人に任せるには非常識な事態が生じることを想定するというか、
相手は自分ではないことを分かっていないといけないのだけれども
その辺、お題目のように自分の正常性を疑わない言説を繰り返す。
アタマ柔らかいつもりの、頭がかたい人なのだろうな。
いつか常識の異なる人間に倒されるのだろうな。
・・・とか、つらつら考えるのでした。
iPhoneといえば6シリーズだと思い込んでて
6+用だって言ってるのに6に対応したもの求める人にも多数出会っている。
表題に6+/6s+用だって書いてあるのに…。
めんどくさいことが多々起きる。
常識が自分の中で勘違いを生んでしまうので、
不安定だけども非常識な部分を心の片隅に、取っておかなくちゃいけないなと
改めて思うのでした。
プログラマとしてはどんな非常識な入力があるかを想定したプログラム作りを求められるので、
その辺鍛えてきたつもりではあるけれど。
まだまだ常識人の非常識の壁は厚い…。
どうすっかな。