自分自身のスタートラインがヒトより後ろにあるとして、
今の出来なさ加減を正当化する・・・。
参考: http://blog.goo.ne.jp/smf405/e/ac9414add0d181ea112a63066571e153
・・・病気自慢、不幸自慢の理屈。
テストの時は勉強やってなかったからだと言い訳する。
それと同じ。
障害を理由にして逃げを打っていないか?
病気を理由にして出来ないことを増やしていないか?
自問するとともに、他人にも問いたい。
ありのままでいいんだよ
あるがままに
人は人、自分は自分
障害は個性
聞こえはいいけれど・・・。
社会はハンディキャップとしてくれるのか?
今の世の中で。
厳しいけれど、自立を求める社会とは矛盾する。
少なくとも、職業につくためには
ハンディキャップは大きな障害となる。
ゆえに障害者。
自分で自分に不利な状況をセッティングして理由づけする。
これって「仕事」で通用するのか?
不可抗力?
それでも社会はそれを許さない。
仕事上は。
どこかのボタン掛け違いで何かが狂ってる。
自ら狂いを生じさせる。
障害者としての自覚を持つならば、
自分で自分を正当化してないかよく吟味せねばならない。
病気なら仕方ない。
障害者だから。
調子が悪いから。
社会が悪い。
個性であるから。
言い訳には事欠かない。
本当に不可抗力なのか?
言い訳にすぎないのではないのか?
自分で障害を作っていないか?
そういうものと闘っていかねばならないのが障害者だと思う。
世間が障害を作る・・・。その一面はある。ならば人類皆障害者。そう思う。
でも、自分が障害を作って甘んじているならば・・・?
精神病は趣味嗜好ではない。
受け入れねばならないが、逃げ場には使ってはいけない。
逃げてもツケは自分で払うことになる。
受け入れる代償は大きい。
ハンディキャップとセルフ・ハンディキャッピング
よく考えねばならない。
自戒を込めて。
あと、カジュアルに「病気・障害」を使うものに向けて。
赤ん坊の夜泣きも仕事の出来ない言い訳にはならないし、
脳腫瘍でさえ・・・。そんな世の中です。
自己責任を強調する社会ってのはそういうもの。
社会を変えるべきか、自分を変えるべきか。
答えは・・・?