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「眠れぬ夜の精神科」中嶋聡 を読んだ。

新書一冊で精神科の雰囲気とか精神医療のおおざっぱなところが分かる本でした。

よく言われる「チーム医療」はちょっぴり出てくるけれど、
基本的に医師の視点からのお話です。

よくありそうなケースを読みやすくまとめてあります。
そして、筆者の誠実かつ狡猾な医療の現場でかわされる問答が記されています。

私にとっての発見もありました。

「病識は無いが病感はある」とか、

「統合失調症の患者さんの場合、最初は順調に仕事をこなし、職場からも『本当に病気ですか』などと言われたりするのですが、始めて三週間くらい経った頃に関門があるようで、突然疲れが来て仕事を休んでしまい、そのまま行けなくなってしまう、というケースが多いようです。」とか、

軽症うつの背景にあるものとして
1.人々の「傷つきやすさ」の増大
2.社会の厳しさ・父性原理の衰退
3.セーフティー・ネットの下支えによるあ
4.都合の悪い感情の外在化傾向
5.多罰化の傾向
6.「無痛文明化」

が、あるとか。よくわかんないのもあるけどなるほどと。

あと、患者への病名告知の是非とか。難しい問題があるとか。

ざっくりばっさり。

さらっと読めて、奥が深いような。(気がするだけかな?いや、深いはず。)

そんな感じな本でした。

知らない人でもこれ読めば・・・わかるかな〜わかんねえだろうな〜(渋)

おもてなしのこころとは裏側しかないこころなのか?

最近いろいろ考えてるんですが、
お客様に対する態度についてなんですが、

日本橋の電気屋さんの客に対する厳しい態度なんですが、
表裏がない正直者の態度なのだろうかと思ったりするのですが、
あれはあまりにも殺伐とした、後味の悪いものだったりするんですが、

かといって、今日行って来た歯医者さんの歯科衛生士のお姉さんなんですが、
こどもをあやすような感じで患者に接するのはそれはそれで考えものですが、

日曜日におじゃましてきた知的障碍者の施設でのことなんですが、
有志が手弁当でやってる施設だったのですが、
大きな子供というポジションに置かれている障碍者の方ってどうなのよと思ったりするのですが、

みんなが気持ちよく暮らしていくためには、心の底で渦巻く暗黒の部分を考えるのですが、
それを表に出さないことが「おもてなし」のこころというものなのかなあと思ったのですが、

裏側だけで気持ちよく過ごすってのはなんか考えてしまうのですが、

私は結局言葉遊びをしているわけなのですが、
なんか実は重要なことがこの言葉の底にはあるような気がするのですが、

ですがですが・・・。

いいかげん。良い加減。

やっぱり、自分の多面性がややっこしくなっている。

いろんなことを知るたびに、様相が変わって行く自分。
そして、いろんなものが付加され、同時に切り捨てられて行く。

切り捨てられ行くものに惜別の念を抱くかというと、
無意識にやってることがほとんどで、計算されているのか、感情まかせかは謎だ。

感情というのは、生物の進化の過程で獲得されたものであり、
大脳辺縁系の役割も大きく、内分泌系やら脳内伝達物質やら、
よくわからない仕組みで、コントロールは難しい。

でも、理性より先に感情が獲得され、
感情を持った種として人間が生き残っている以上、感情は切り捨てることができない。

生きて行くために感情的である方が、多分有利だと思う。

そこをそぎ落とすことを求める社会。
犠牲者が出ているのを感じる。

感情に任せて暴走することも許されない。
理性で割り切ることに不合理が含まれる可能性を想う。

突き詰めると、きりがない。

いいかげんに。良い加減に。

そんなことを思いつつスパゲッティを食べるのでした。

ホント、やることなすことのさじ加減が苦手なので困ったものです。

だれがやねん。どいつやねん。

向かいの学校で体育祭やってるよ

アナウンスというか、実況放送がうるさくてたまらん。

住宅街の中にある学校なんだから、もう少し何とかならんのか?
夜勤の人のことなんか考えてないんだろうな。

盛り上がっているのは良いんだけれど・・・。

業種によって学校周辺の出店規制とかがあるのはなんでだろうかと考えたとき、
いわゆる学校にふさわしい「環境」を整えるためなんだと思うけれど、
他人を規制するんなら、対等に自分らも規制を受けるべきだと思うんだけれど。

単純に私は馬鹿騒ぎが苦手だってのもあるけれど。

大音量で流すんならこういうのにしろ。

・・・はい、よけい迷惑ですね。

モンスターペアレントをたくさん招いて、先生にとって戦場と化しているかと。
流れているものに意味がないのはつまらんのですよ。
音声垂れ流しするんなら皮肉の一つも効かせてほしいです。

って、ないものねだりかな?