カテゴリー: 未分類

忘年会:いつも元気じゃいられない。それも障碍か?

今、遺跡の発掘にかかわっていたころの知人と忘年会をやっています。
私の過去についてはプロフィール参照のこと

人の集まるところは苦手です。アルコールも飲めません。
宴会芸もありません。
自分の訓練のためだと思っていってきます。

対人援助職に就くものがこれではいけないのですが、から騒ぎしても楽しくないし。
世話になった人が元気かどうかだけ確かめてきます。
年賀状も出さない私。人とつながるのはこういう機会しかありません。

現在、無職の状態なのも負い目になります。
みんな厳しいのはわかってますが・・・。

正直、こういう場に出て行くのはつらいです。
話も合わないのがわかってますし。

自分の器の小ささにがっくりします、器に相応な暮らしをすればいいのにとも思います。
とりあえず、数時間、無理をしてきます。

ブログ村って一日3件しか投稿を受け付けないようなんで、
元気が残っていたら、どんなだったかはまたあした。

 
ほんとうにメイラックスが頼りになります。
というか頼っています。

何とか無事に終わりますように・・・。
—————————————————————————————————
追記で報告。2008/12/20 22:40
行って来ました。お好み焼き&もんじゃ焼き。
みんなで鉄板を囲んで微妙な駆け引きが・・・苦手です。
一番世話になった一番会いたかった人が来てなかった。
がっかりしたけど、大過なくすごせてほっとしています。

みんな歳をとるんだなあとしみじみ。

【乳酸菌の権利】ヨーグルト食べて妄想する。

数年前、私の母親が「花粉症にはヨーグルトが効く」と、誰かから聞いてきて以来、我が家の冷蔵庫にはヨーグルトがいつも入っている。

私も嫌いではないので食後のデザートとして食べたりする。銘柄はその時によって違うのだけれども、どのヨーグルトも個性があってそれぞれそれなりにおいしい。花粉症にも効いたような気がする。プラセボ効果はあなどれない。いや、体内の異物排除機能である抗体システムが乳酸菌に対して活動することで、免疫系が調整されていい感じになっているのかもしれない。
 

乳酸菌は立派な生き物だ。ヨーグルトを食べるのは生きた乳酸菌を踊り食いするようなものである。生き物を生きたまま食べるというのは残酷なことだ。自分の命をつなぐため他の生き物を犠牲にする。これは、日常的に私たちが行っていることだ。弱肉強食。厳しい世界だ。ゆえに、そこから一歩、人類は前進せねばならない。
 

過去、人類の間では人種などによって差別が行われてきた。また、富める者と貧しい者との間で抗争が繰り広げられてきた。そこからわれわれはいろんなことを学んできたはずだ。

強者が弱者を餌食にして繁栄するというのはいいことなのか?乳酸菌は人間に対して弱者である。その一生を生まれたときから死ぬまで人間に支配され、人間のためにのみ生かされている。乳酸菌の権利はどこに行ってしまったのか?ここには社会の誰もが沈黙を決め込んでいる大きな問題がある。私は福祉を学ぶものとして乳酸菌に代わって権利を擁護しなければならないと考える。アドボケーションは福祉に関わるものにとって大変大事なことである。

悲惨な生を送る乳酸菌は救われなければならない。乳酸菌にも最低限度の生活保障が必要である。われわれ人間という強者による援助の手はすべての乳酸菌をあまねく救うために差し伸べられなければならない。冷蔵庫のような彼らの活動を抑制してしまう非道な環境において監禁がなされたりするのは大きな問題であろう。

これに対して、反論がある。援助の手が差し伸べられることによって、乳酸菌が怠惰に陥る可能性があるというものだ。乳酸菌は自助努力によって自ら豊かな生活を勝ち取らなければならない。薬剤耐性結核菌や病原性大腸菌O157のように決起して自ら立ち上がることが乳酸菌には求められているのであるとするものである。

これは乳酸菌をめぐる福祉的問題である。われわれ人間には仲間である乳酸菌が必要である。なのに、この国では彼らの権利を守る手立てが打たれていない。このような重大なことは国会や有識者会議等で十分な議論がなされなければならないであろう。究極的には「乳酸菌福祉法」の制定を見据えての活動が必要かもしれない。

人間は古来より乳酸菌と共生して来た。近代社会はそれをねじまげようとしている。過去の歴史から学び、来たるべき22世紀に向けて新たな倫理が望まれるところである。そして、弱者に優しい世界を構築していくことが必要なのである。乳酸菌でも普通に暮らしてゆける社会。「ごくあたりまえの暮らし」が乳酸菌にも与えられなければならない。それは、わたしたち人間にとっても暮らしやすい社会なのではないのだろうか?
 

 
 
えーと、最近私が好きなのは「バニラ・ヨーグルト」です。上のリンクのみたいな高級でおいしそうなのじゃなくてスーパーで買ってくるやつですが。高級なのいっぺん食べてみたいです。食べる時、たまに上記のようなことを考えます。おなかのなかで乳酸菌が元気に活躍していることを祈ります。
 
 
 

・・・うそです。何も考えてません。乳酸菌の皆さんごめんなさい。

統合失調症の特性をあらためて見てみる。

ここ数日スクーリングの影響でアタマが使い物にならなくなっています。
やっぱり「障碍」は私の中に大きく傷を入れているようです。

で、ネットを散策して気晴らししていたのですが基本的なところでこんなのを見つけました。
大阪での人権研修資料から抜粋
http://www.city.osaka.jp/kenkoufukushi/handi/handi_jiritsu15/070821_01.pdf

統合失調症とはーその症状と特性ー ②
統合失調症の場合、一旦回復しても人によっては後遺症が残ることが
知られています。また再発予防のために服薬している薬の副作用や
入院体験による社会性の減退によると考えられるものがあります。

よく見られる特徴(障害特性)として次のようなものがあります
・ 細かな指先の動作が苦手
・ 動作が緩慢
・ 周囲への関心が乏しい
・ 複雑なことが苦手
・ 臨機応変に判断することが苦手
・ 問題を切り抜けることが苦手
・ 自信がない
・ 新しいことに対して不安が強い

自分にあまりにも当てはまるのでやっぱり、自分は無理をしているのだなと思いました。
正確には「無理」じゃなくて「非効率」だったり「場にそぐわない=負荷が大きくなる」行動をとっている。大学のスクーリングでめったに遭遇しない事態に置かれてオーバーヒートしてたんだなーきっと。

休息が今は必要なのでしょう。エネルギーの枯渇を自分でコントロールできないところも問題。しばらくテンション下げるよう努力します。

・・・といっても、簡単に下がるものじゃないけど。
すこしでもゆったりできるように・・・。

e4bcb8e381b3e78cab

リンクをたどってここへきたみなさんトップページなどを中心に他のコンテンツもぜひご覧ください。

同じ空の下にいるFPのひと、貧乏でごめんなさい・・・。

学校のレポートをなんとか書き上げて一休みしていました。
すると電話が。番号は東京。ここは静岡。嫌な予感がしたけど出てみた。

テンションの高い人が私の父親(同居)はいるかと聞いてきた。
留守なので、何の用か聞いてみた。

ファイナンシャルプランナーの会社らしい。

わざわざ田舎に電話をかけてきて顧客開拓?
怪しげなので父はいつ帰るかわからないと答えた。

息子さんですか?と聞かれたので、そうだと答えると、
何歳になりますか?と聞かれた。

将来の資産運用計画についてたたみかけられると感じた私はごまかした。
電話一本で懐具合を探られそうになって嫌になったよ。

将来は見えない。だからこそのFPだといいたいんだろうけど、
「金持ち父さん、貧乏父さん」を読んで気分を害するタイプの私。
ハゲタカにしか思えないよ。

生きてくのがやっと。将来への不安でいっぱい。
FPもいいけど、県外から電話でいきなり探り入れてくるなんて危険なにおいプンプンだよ。
お客探してるのは大変そうだなあと思うけど、貧乏人からむしろうとするなよ。

いえ、わるいのは私たちです。
日本の経済の足を引っ張ってごめんなさい。

貧乏でごめんなさい・・・。

——————————————————
追記 2008/12/10
今晩もねむれずAM2:00に布団に入ったけど目がさえてAM5:30に起きだした。
試験の過去問でもやりましょうかね。

やっぱり狂っていると思う。原因は私たちに?


マークシート試験に使うために100均に行って鉛筆買って来ました。
1ダースで105円。紙箱入り。ご丁寧に先が削ってありました。

どうすれば105円で作れるのだろう?
MADE IN CHINA
店のマージンは?流通コストは?
もし、障害者の作業所で箱折、箱詰めしたら、一箱何銭になるだろう?

材料だって100円じゃ手に入るかどうかわからない。、芯や木の加工、さらには消しゴムまでついている。
絶対に価値が歪んでいる。

いくら国外生産でコスト切り詰めるといっても・・・。
誰かが泣いているんだと思う。

日本で障害を負って、作業所で働く。その低賃金は知らない人が聞いたらショックを受けると思う。
でも、この鉛筆はその低賃金とはさらに段違いの低賃金で作られてるのは確かだ。生産効率の追求にも限度があるだろうし。

日本での貧困が問題になるけど、世界規模で見たときの貧困は日本国内より格段に厳しいのだろう。というか、想像を絶しているはずだ。分かっていたつもりだったんだけど、あらためて考えると恐ろしい世界に住んでいるのだと思う。

近所の知り合いの家に行ってパソコンを1時間ほど教えて1000円の駄賃をもらうというのはこの鉛筆を前にすると罪悪をなしているような気になってくる。

ワーキングプアの問題は深刻だ。私も貧乏だ。でも、他人の貧乏の上にあぐらをかいている貧乏なんだと思う。作業所スタッフはかなりの低賃金。作業所メンバーはさらに段違いの低賃金(工賃)。国外ではさらにさらに・・・。
日本国内だけで問題を考えると、多くの人が低賃金で長時間、ボロボロになるまで働かされて、まさに貧困に苦しんでいるのだけれど、その貧困はもっと強烈な日本国外の貧困の上に成り立っている。さらに自分が確実にそれに加担している。

この鉛筆を作った人は幸せに暮らしているのだろうか?
国外だけでなく、国内でこれの販売、流通に関わる人にも相当厳しい負荷をかけてるだろう。そしてそれが連鎖している。相対的貧困というやつに苦しめられている私たちは、100均の製品群を前に自分の貧困をどこまで主張するのが許されるのだろう。でも、主張なしには自分の幸せはつかめない。・・・という気がする。

この仕組みの中で利益を出して儲けているひともいるのだろう。
この鉛筆を作ることで賃金を得て暮らしが成り立つ人もいるわけだし。
そして、私も貧乏なりに「豊かに」暮らしている。日ごろ自覚できないけど。
そういうルールの社会だからルール違反さえなければいいのだろう。・・・いいのかなあ。
私は今、とっても嫌な世界に住んでいる気もする。

最近、たとえば中国製品の品質に関して問題となることが多いけど、品質管理に対して十分な対価を出して無いせいじゃないかと思う。物価が上がるのは嫌だけど、必要な対価は払わないとフェアではない。でも、払うほどの余裕がワーキングプアにはない。ワーキングプアの発生には生産の場が海外に移されたことも絡んでるし・・・。

狂ってる。何か狂ってる。私も狂ってる。

ずっと前から分かっていたつもりだったんだけど、あらためて思いました。
この鉛筆、大事に使おう。

———————————————————
2008/12/15 AM0:30 追記
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081213_2gb_microsd/
もう品物の原価はどう計算しているのかわからなくなりました。
micro SD 2GBが105円って・・・