簡略に手術説明
大出血の可能性あり。血流豊富。
リスクいろいろ
以上。
簡略に手術説明
大出血の可能性あり。血流豊富。
リスクいろいろ
以上。
今回の脳腫瘍やら統合失調症のこともあって
アカさまの医療保険加入を検討中。
さらに学資保険も・・・。
妻が支えることになるわけですが。
学資保険は返戻率の高い妻への別の保険をかけてまかなう手もあります。
難しいことこの上ない。予算がないから。
掛け捨て共済との組み合わせ技が候補に挙がっております。
妻のツテをたどって明日相談に乗ってもらいますが・・・
現在、鼻が詰まったアカさまが苦しそうなんで、
こっちも苦しいです。
さらにその余波でヨメ様も睡眠不足。
一家全体で危機的状況です。
童話にある
みにくいアヒルの子
と
ふつうのアヒルの子
どっちが障碍者でどっちが健常者か?
メタファーとして興味深い。
自分のことを醜いアヒルの子だと思っている普通のアヒルの子は?
自分のことを普通のアヒルの子だと思っている醜いアヒルの子は?
さらにそれぞれが関わりあった場合に生じることはなんだろう?
つらつら考えて気を紛らわしています。
ノーマライゼーションとかって?
本人の意識によってどういう関係の違いが生じるのか?
20枚近い書類が送られてきました。
1週間後には説明会。そのとき提出って・・・。
今まで何回も出した書類をまた提出。なんで?仕方ない・・・のか?
いろいろ重なってたまらんです。
エンパワメントは自ら力を身につけるべきであるかのごとき言説がある。
自発というものはいったいなんだろうか。
本当の自発というものはあるのだろうか?
アカさまを見ていて、様々なものを見聞きしながら影響を受け何事かを始めるところを見るわけであるが、
人間。全くのオリジナルなものなんて作れない。
もしそんなのがあったら他人には理解不能なわけである。
芸術家が理解されないものを作るのもその辺に根っこがあるらしいけれど、
障害者がエンパワメントされるという場合、他人に促されて活動開始するのが真のエンパワメントではない・・・
・・・ということはないと思う。
某所の某記述を見て思った。
健常者だって「自発」っていうのはあるのかどうか疑わしいと。
自らに力を与えると言っても、きっかけが専門職の働きかけであろうが、問題ではないように思うのだが。
当然、強制とは一線ひかねばならないが。
さて、ここに自由というものがなんであるかが問題になるんだろうけれど
全くの自由なんてモノはないわけで、
ああ、エヴァ的厨二思考に陥ることになってしまった。
社会の変革を考えるとき、自由がどーのこーの考えたりするわけであるが
何からの自由であるかをはっきりさせないといけないのだなと思ったり。
なんでこんなこと考えてるかっつーと
借りて来て見た「人生ここにあり」があまり面白くなかったことにあるわけで。
人生流れ流されて行くのが本来なのだろうなと思ったり。
で、自分はどーなのよって感じで、あがきにあがいて結局流されている。
自己実現?
それは狙ってやるもんじゃないと思うんだよなあ。
結果たどり着くものだと思う今日この頃なのでした。
何書いてんだおれ。