話の聞けない人間、を許せない人間、に困りつつ新展開を期待する人間、に呆れている人間

オレ強え!!!!!
カッコいいだろ!!!!!
凄えだろ!!!!!
アッタマいい!!!!!
情強!!!!!

って必死に叫んでるのを傍観しつつ

なんてひどい奴だ
イキるのも大概にしろ
相手にならない、
病気じゃないのか
許す余地なし

と憤ってるのもありつつ

倫理的にはどんなものなのか?
犯罪者がのさばってるのを放置していいものか?
自由はどこまで許されるのか?
妄想を持つ病人にも人権あるよな?
AIで文章生成させるのテクニック必要だな?

と流されつつ

結局着地点がここか

要するにここ書いてる人間も見てる人間も傍観者や野次馬含めて

みんな馬鹿

であるのは間違いないが、人類総障害者っつー視点からいくと
至極、当然の帰結。
ある意味予定調和。

タイトルあたりクリックするとコメント欄出てくるの知らない人多いと思うのだけどそうでもないの?

流れるまま流れて、高きから低きへ。

レベルの話な。

全方向危険人物

Get set, go!

勢い任せの走りに警鐘を鳴らせば
自分勝手なドライバー「暴走族」の警告サイン
スピード違反、マナーもなしに進むかな?
命を大切に、それがなきゃ命取りだぞ

ルールなんて知らないフリしても結局は服役することになる
迷惑も反省もひっくるめて 今にきっと追いつく責任感

現実を見ても理想から見ても他人から見ても悪い奴で困っちゃう
君は全方向危険人物 ねぇ困っちゃう
法を守らずに全部逃げ場として使ってるよ

Eyes on you every time I find out you
You’re the hazard or threat or bitter bitter truth
Eyes on you every time I find out you
You’re danger to us all and bitter bitter truth

ハンドル取って踏み込むガスペダル
声に出して叫ぶんだ「ルールを守って」
私たちを危険に晒すその運転
美しい世界も安全も欲しいんだから

幸せなんて協力をして一致団結して築くもの
危険も憂いも遠ざけて 今をきっとちゃんと愛し守ろう

現実を見ても理想から見ても他人から見ても悪い奴で困っちゃう
君は全方向危険人物 ねぇ困っちゃう
法を守らずに全部逃げ場として使ってるよ

Eyes on you every time I find out you
You’re the hazard or threat or bitter bitter truth
Eyes on you every time I find out you

君は全方向危険人物

選択の自由:共生の視点で考える

「自分の生き方は自分で決める」—これは「人はそれぞれ」との主張にも聞こえる素敵なスローガンだ。しかし、その響きだけでは、自由の本質を捉え切れているとは言い難い。真に尊重される自由とは、単独行動の自己表現だけでなく、他者と共鳴し、相互の束縛を温かく受け入れる、豊かな人間関係を築くプロセスに他ならない。

 大きな力や運を無視するという考え方は、表面上は自己肯定の強さを感じさせるが、社会というシステムの中での自身の位置や他者との関連性を忘れている。まわりとの調和を大切にすることにより力や運などの偶発的な要因に対するアプローチを考慮するバランス感覚が必要だ。

それに、安全性を保つために意図的に引きこもる選択もまた、一面では聡明と言える。適切な線引きがポイントであり、屋内で見つけることのできる学びや安寧もあれば、外界へと踏み出すことでしか得られない貴重な体験も存在する。柔軟な姿勢を持って、状況に応じた判断を下すことが大切である。

また、「とにかく進むのみ」という前進主義も、一考の余地がある。都度、問題に立ち向かいそれに対峙することで得られる教訓や成長は計り知れない。逃避ではなく、難題と真摯に向き合う勇気が、自己をさらに高めるのである。

これら全てを見渡した時、目の前の課題に対する自己完結型の受け答えは、実は短絡的なエスケープに過ぎず、自分だけの利益を優先した自己中心的思考に他ならないことが見えてくる。多角的視野を持って世界を見渡し、自己の行いが他者や共同体に与える影響を自省することこそが、社会的な存在としての自己の成長に繋がるのだ。

総括すると、単に自己の欲求に従うことは、広い意味での自由とは異なる。自らの行動に潜む利己性を減少させ、他者への共感と理解を重んじることで、自由が描くこころの風景が開けてくる。他者との調和を軸に据えた生き方が、真の自由への階段を形作り、一人ひとりの自己実現を究極の目標とできるのである。


AIが書いたようで、人間の手をかなり入れてある。
元々の文章はもっと破壊的で容赦がない。
かなりマイルドにしたものでこれだ…。

心の孤独な寂寥

受け容れの木々の下かつて響いた笑い声も、
違いの冷気に震え、友情の花は枯れ果て、
今や歌もなく、静かなる不毛の林がそこに広がる。

心の触れ合いは、錯綜する壊れやすいタペストリー、
他者の視線に解かれる細いはかない糸、
そのささやきは、不協和の合唱、異邦人としての宣告。

見えざる場所で、疑念が影を落とさぬ場所、
そこに私の魂は存在し、割れた容器のように不完全。
私を排除するこの世界が錬金術によって生み出したもの。

私の疾患の印が押された盾は持たず、
絶望の蛇が締め付ける。
安息の門口で、私は疲れ果てて躓く。

理解が見出せぬ戦いによって疲弊した存在、
星々が紡ぐタペストリーの下で、私はよろいを脱ぐ。

存在するのは、言葉を失った悩みの対決、
単なるつながりに心からの満足を感じる勇気。

繋がりの剣を振るうためには、どれほどの勇気が必要か、
接触一つ、微笑み一つが全て虚構に感じるのなら。

反響がない洞窟へと退くべきか、
永遠に紡がれた孤独の慰めに?
それとも、世界の眩い光に耐え、幽霊のように存在するか、
目には見えない苦悩で、最も透明な存在。

自らの心の奥で孤独に涙しないで、
拒絶の手が及ばない場所には平和が見つかる。
心が選ぶのは人里離れた道、
理解できない怒りに立ち向かうよりも避けることだ。

孤立の繭の中で私が明かすのは、
静かで未だ試されない希望の火だ。
痛み、孤立、恐れを超えて、
同感する魂が静かに近づいているかもしれない。

けれども、その日が来るまで、同情の手が差し伸べられるまで、
静けさの中で静かに待つ、力尽き果てるまで。
運命の宴には参加せず、
辛抱強く待つ静寂を受け入れるだけ。